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2日目:2019年1月27日(日)公開研究会
開催場所:片山津地区会館 テリーナホール
01|開会
02|あいさつ 加賀市長 宮元陸
03|プロジェクト概要説明
岡﨑乾二郎(かがく宇かんディレクター)
中谷芙二子(中谷宇吉郎記念財団 理事)
04|研究員紹介
05|公開研究会
第1部:基調報告 岡﨑乾二郎
第2部:研究員からの発表とフリーディスカッション
06|閉会あいさつ 加賀市教育委員会教育長 山下修平
アーティスト リサーチ フェロー
中井悠[音楽・その他]
毛利悠子[美術家/東京芸術大学大学院美術研究科専任講師]
高嶋晋一+中川周[美術・映像]
松井茂[詩人/情報科学芸術大学院大学准教授]
ミルク倉庫+ココナッツ[芸術家群]
豊嶋康子[美術家/武蔵野美術大学非常勤講師]
白井美穂[美術家/女子美術大学特別招聘教授]
ぱくきょんみ[詩人]
藤幡正樹[メディアアート]
岡﨑乾二郎[造形作家・批評家/中谷宇吉郎記念財団理事]
中谷芙二子[霧の彫刻家/中谷宇吉郎記念財団理事]
リサーチ フェロー
中村泰之[webデザインエンジニア]
三輪健仁[芸術学/東京国立近代美術館主任研究員]
後安美紀[生態心理学・一般財団法人たんぽぽの家]
前嵩西一馬[文化人類学 ・沖縄研究/明治大学ほか非常勤講師]
辻田勝吉[ロボット工学/大阪工業大学准教授]
高橋明彦[日本文学/金沢美術工芸大学教授]
ゲスト
松浦寿夫[造形文化・美学美術史/武蔵野美術大学教授]
沢山遼[美術批評家]
山峰潤也[キュレーター/水戸芸術館現代美術センター学芸員]
プログラム2日目、研究員たちは午前中に加賀市内ツアーに参加し、北前船資料館、竹の浦館、深田久弥山の文化館を見学しました。お昼には、加賀市で農活や篝火夜市を企画する堂下亜也さん(山ん中たまご園)らが地元の食材を使った食事を片山津地区会館で提供しました。食事の前、堂下さんによる食材や料理についての説明に「私たちは食材の時を止めて、命をいただく」という言葉がありました。それを聞いて、バックヤードではすでに研究員同士で時間に関する対話が始まっていました。
一方、テリーナホールでは研究員のための長机がコの字型に並べられ、それをぐるりと囲むように客席が100脚ほど用意されました。開場とともにあっという間に客席が埋まり、追加の椅子をあわてて出し、立ち見も含めて最終的に約150人が集まるほど盛況でした。
前日のワークショップがさまざまなテーマを持ち寄ったブレイン・ストーミングであったことに対して、2日目の公開研究会は、事務局の森田菜絵さんと木原進さんによる研究員のプロフィール紹介、岡﨑乾二郎ディレクターによる基調報告、研究員による発表、ディスカッションによって構成されました。限りある時間の中で、専門領域が多岐にわたる研究員の発表や発言に対して、岡﨑ディレクターが的確な応答をすることで会を駆動していきました。観客からすれば、つぎつぎと展開される全方位的な議論を傍観することは、それこそ、さまざまな時空間を頭の中で移動するような経験であったかもしれません。3時間以上にわたった公開研究会でしたが、老若男女の幅広い客層の聴講者たちの集中力は程よい緊張感が保たれていたという印象です。そこには、岡﨑ディレクターによる議論の牽引はもちろんですが、2日目も初日と同様に中谷宇吉郎博士への敬意、そして、中谷芙二子さんの求心力が働いて、多人数の研究員と観客を引きつけたことは言うまでもありません。そのような意味でも、2日間のプログラムを加賀市で開催したことに意味があったといえるでしょう。
まず、岡﨑ディレクターは公開研究会の前提になる考え方について基調報告を行いました。そこで、科学と芸術の接点とは創造性であり、科学の研究における「観察」「発見」「実験」を繰り返しながら「仮説」をビルドアップしていくプロセスと芸術の創造的プロセスが同等であると述べました。しかし、現在の科学では実践のレベルで理論が確認できない場面が起きており、仮説の整合性や正しさの根拠(再帰性や記録)が既存の理論枠に収まらないケースに直面していることを指摘しました。同様に、実際の社会制度が前提にしている時間と空間は、現在の科学技術が扱う理論枠と必ずしも同一ではない現状についても説明しました。さらに、人間の処理能力を超えたレベルとしてビックデータを例に引き、人間に変わって、コンピュータが勝手に解析、理論化、仮説を打ち立て、実践し、人間はただ理論もプロセスも理解できないまま結果だけを受け取るような状態を「科学技術のブラックボックス化」と呼びました。その先には、古い社会制度にもブラックボックス化が引き起こされ、結果的に科学と現実が分離し、近い将来、人間の営みの非科学化が起こると展望しました。
そこで、下記に挙げた問いを通して人間を再定義(再発見)することを提案しました。
人間の感覚は五感のみか?
知性は人間しか持たないのか?
人間の知性は人間のみで完結しているか?
空間、時間は同一か?
このように、かつての科学と芸術の接点は、ある理論枠を修正するために創造的プロセスを経由する点にあった一方で、現在は理論と実践の間にズレが生じているという問題が公開研究会の起点となりました。そして、その先に待ち構えているであろう「シンギュラリティ(技術的特異点)問題」に言及し、人間が基準としてきた理論枠をバージョンアップするために人間を再定義する必要性が迫られていることを強調しました。
続いて、岡﨑ディレクターは近代における自然科学と芸術が共に進化してきた事例をいくつか紹介しました。まず、コンスタブル(1776-1837)とターナー(1775-1851)の絵画を提示しました。コンスタブルの雲の絵(18世紀後−19世紀前)は、ルーク・ハワード(1772-1864)による雲が科学的に分類できる研究が発表されたことに影響を受けて描かれた絵で、自然環境と人間が関係することを連想させる一方、ターナーの絵は、機関車から出る人工の蒸気と自然の霧を描き分けようとした絵であることを説明しました。次に、生物学者であり哲学者でもあったエルンスト・ヘッケル(1834-1919)によるデッサン集『自然の芸術的形態』(1899)や、ウィルソン・ベントレー(1865-1931)による写真集『Snow Crystals(雪の結晶)』 (1931)を紹介しました。当時、ベントレーの写真集を見た宇吉郎は「自然形態から美しいものだけを美術的な範疇で見て選ばれたものだけであるから、写真集はすばらしいがこの写真によって科学が遅れるだろう」といった内容を随筆に記していることに言及しました。そして、実際の雪の結晶は、壊れた形や奇形なものがあるが、それは奇形ではなく自然界においては状態であって、その状態を美しくないと排除してしまわずにその形が生まれた必然性を研究することが科学である、と宇吉郎博士は考えたのではないかと述べました。ここでは、ハワードの理論がコンスタブルの絵画に影響を与えたように、ベントレーの美学的な選択に対する考え方のシフトが起きていることを指摘しました。さらに、雪の結晶は形が形成される時間軸のプロセスが対象化されたものであり、結晶から上空の気候、温度などの情報が文字のように読み取れるということを解説しました。
同様に、ぱくさんは自然科学と芸術の接点として、近代詩人の山村暮鳥(1884-1924)の詩集『雲』からいくつか詩を披露しました。ぱくさんは、暮鳥は子どもの言葉に可能性を感じ、風景と人の営みを観察したエピソードを交えて、「空気を描こうとした詩人」であったと述べました。そして、宇吉郎に共通することは日常の「不思議」を求める志向にあり、宇吉郎が残した言葉「不思議を解決するばかりが科学ではなく、平凡な世界のなかに不思議を感ずることも重要な要素であろう。」を随筆「簪を挿した蛇」から引用しました。さらに、近代は不思議を感じることが芸術や科学だけのものではなく、みんなのもので、観察、発見しようとする息吹があった時代であることに対して、現代はそれが失われているのではないかと問いかけました。
岡﨑ディレクターは宇吉郎が結果物としての形ではなくプロセスに注目している点を強調し、これを芸術へ応用した場合に「四次元的彫刻」へ向かうと表現しました。20世紀には量子力学をはじめとした自然科学の学問では人間がイメージできない空間が出現したことを踏まえ、ハンガリーの詩人でもあり美学者であったチャールズ・シラトー(1905-1980)が、当時の新しい自然科学の研究があらゆる芸術分野へ与えるであろう影響について『Manifeste Dimensioniste(ディメンショニスト宣言)』として1936年に発表したことを紹介しました。当時、ディメンショニストのメンバーであった芸術家は、マニフェストに呼応するようにさまざまな表現を試みました。例えば、シラトーは、三次元や四次元のレベルでどのように詩作するかを試み、ハーバート・マター(1907-1984)は、異次元の空間が混ざったような空間を一枚の写真に写し取る実験を行い、それに影響を受けたカルダー(1898-1976)は、四次元的な空間を目指した作品を作成しました。ポロック(1912-1956)もまた特定の次元に定義できない絵を提示しようとのではないか、とその交流関係から考察しました。さらに、宣言文には彫刻の将来像として「閉じた形態や動かない形態ではなくなる」「気化する」といった記述があり、「霧の彫刻」との類似性を指摘しました。
そこで、中谷芙二子さんは、オルムステッド(1822-1903)が手がけた米国ボストンにあるピクチャレスク様式の自然公園[*1]「エメラレルド・ネックレス」にて、2018年夏に制作した霧の彫刻について説明をしました。中谷さんによれば、この公園の優雅な名前に反してガラガラ蛇のように見えるチェーン状に連結した湖を見て、オルムステッドは自然の地形を生かして公園を設計したことに気づいたそうです。そこで、彼へのオマージュとして、公園内の氷河によって削られたすり鉢状の地形を生かした、特徴的な場所を5か所選んで霧を出しました。その結果、オルムステッドが作った自然らしい風景は人工的であるけれど、中谷さんの作品によって元々の自然を顕在化させることへつながった、と岡﨑ディレクターは指摘しました。また、中谷さんは、子どもや犬が霧の彫刻に入ったり出たりしながら大喜びすることについて、「境界を突破する喜びを感じているのではないか」と述べました。
続いて、四次元的彫刻に関連して、毛利悠子さんは、音速とその伝わるスピードのズレを取り入れたサウンド・インスタレーション《そよぎ またはエコー》についてプレゼンテーションしました。彼女は、札幌芸術の森に野外展示されている砂澤ビッキの木彫作品《四つの風》に感銘を受け、果たして摩耗や劣化がネガティブなのか、時を経て変化していくもの、新しく見えるものを作品化できないかと着想しました。さらに、同作が観客の位置や歩くスピードによって音の質や聞こえ方の変化することが過去と未来の往来のようでもあると述べました。
そこで、岡﨑ディレクターは、クラシック音楽をはじめとして、これまでは音を聞く場所は特定され、他の芸術形態に比べると別の場所での再現性が低いことを指摘しました。さらに「四次元的」芸術作品を展示、収蔵するにあたり、従来の美術館制度にジレンマが起きることを指摘し、東京国立近代美術館学芸員の三輪建仁さんへマイクが渡されました。
岡﨑ディレクターが冒頭に示した「古い理論枠と現実の乖離」という問題定義の延長上で、ミュージアム・システムと作品の関係について公開研究会で度々言及されました。その問いの矢面となった三輪建仁さんは、近代の産物としての近代美術館が設定した100年という枠組み(次世代へ受けつぐために作品を保管する年数の指標)や制度が疲弊し始めている一方で、美術館が想定していなかった作品が持つ時間軸と照らし合わせることによって、別の可能性を見いだせるのではないかと述べました。
例えば、ロバート・スミッソン「ノンサイト」シリーズ(1969、全15作品)が東京国立近代美術館に収蔵されたことは、ある種の「事件」になりうると述べました。三輪さんによれば、同作品は逆説的に美術館に適合することを志向したミニマル・アートやコンセプチャル・アートといった、戦後美術の顕著な特徴が見られる作品である一方、作品形態のみならず時間軸(モノが持つ時間や耐久性など)も含めて、コンテンツ(作品)とコンテナー(美術館)の不適合が起きていると指摘しました。つまり、作品に白亜紀の石が含まれることによって、1907年以降に作られた作品を扱うという想定が崩れたこと、そして、白亜紀の石はもろく、展示の度に崩れてしまうので、自然界よりも早く粉々になってしまう可能性があるためです。さらに、同作品は鉱物が採取された場所やプロセスを示す資料展示も含まれるため、その展示形態の類似性から、むしろ、自然史博物館への接近が起きているということも指摘しました。このような観点からも自然科学と芸術の接合点が考えられるのではないか、と問題提起しました。
これに対して、岡﨑ディレクターは、同作はスミッソンが石を採集した行為の記録であって、美術館は石ではなくスミッソンの行為を収蔵したという解釈を導き出せると述べました。さらに、「ノンサイト」と同様に、途方もない時間軸を背負った自然物を使ったコンテンツとそれを収蔵するコンテナーの興味深い事例として、雪の科学館の中庭に設置されたインスタレーション《グリーンランド氷河の原》を紹介しました。
雪の科学館が設立される時、中谷さんは厳しい気象状況で研究をした宇吉郎のためにグリーンランドの風景を作ろうと思い、38億年前の石をグリーランドから運びました。その際、グリーンランドの環境・文化大臣が「これは氷河が運んだ、まだ動いている石です。今は海岸にあるけれど、ゆくゆくは海に入って移動して、もしかしたら日本へ着いたかもしれない。その時間が少し早くなったと思えばいいから、グリーンランドから日本へプレゼントします」と許可したエピソードを披露し、中谷さんはその言葉こそが石を運んだこと自体や形態よりもアートだと考えていると述べました。
一方、中井悠さんは、摩耗や劣化のキーワードに対して同義語の英単語「Weathering(ウェザリング)」を引き、「Weather(天気)」が含まれており、天気にさらされることや時間の経過が組み込まれた作品(コンテンツ)の保存問題について言及しました。さらに、コンテナもコンテンツと同様に時間の経過とともに、それをとりまく理論の枠組みの劣化が起きることを指摘しました。それに関連して、ある理論が崩れるきっかけを「事件」と比喩し、何をもって事件とするか、何が事件とカウントされるのか、ということを問いかけました。カール・ポパー(1902-1994)が一つでも反証可能性を持つ仮説だけが科学的な仮説であるとみなしたことに対して、クワインは反証可能性が一つあっても仮説の体系的ネットワークがあるから崩れない、という立場をとったことについて言及しました。つまり、ネットワークの方が強固で、体系的なパラダイムシフトが起きるまで、アドホックに問題の修正をかけていけば理論枠が崩れないということです。そのような意味で、スミッソンの作品はある種の反証可能性(事件)かもしれないが、体系的な変化を及ぼすことができないとも考えられると述べました。
さらに、藤幡正樹さんは、近代の教養として埋め込まれた約束事を問い直すことを促しました。美術館に行けば「作品」があるという思い込み、作り手と観客の関係、作家から切り離された作品など、全ては近代が生み出したものであって、三輪さんの問いは、スミッソンの作品を作品と呼んでいいのか、という問題でもあると述べました。
これらの議論を踏まえ、岡﨑ディレクターは「中谷宇吉郎 雪の科学館」は従来のミュージアム制度に収まらない(美術館でもなく博物館でもない)、何か、実験的な体験装置のような場と捉えることができるかもしれないと言及しました。
コンテナの在り様とコンテンツの時間に関する議論のなかで、岡﨑ディレクターは別々の時間軸を持ったものがある特定の場所に集まる(集める)こと、動くものと空間の関係から「時空間の同期」というキーワードを抽出しました。岡﨑ディレクターによれば、同期とは観察者の視点のような、ある地点を指定することによって取り出される特定の視点で、それは制度や知覚の問題だけではなく科学技術にも依存すると指摘しました。
そこで、ロボット工学者である辻田勝吉さんは、工学的に時間と空間を接続する、同時を保つということはどういうことなのか、と問題提起しました。例えば、地球から数千万から数億キロ離れた場所に飛んでいる宇宙探査機と地上の自分の間に起きる、数分から数時間の交信時間のズレが無かったかのように接続できるオペレーターがいることを紹介しました。このような機械とのやりとりを通して、隔たりのある時空間を瞬時にあちこち移動、接合、切り離しができるような認知活動が行われているのではないかと述べました。
さらに、宇宙ロボットや宇宙工学の分野では同時とみなされる時間精度とは、100万分の1秒程度であることや、宇宙空間の異なる時空間を補正して同時性を確保できるような装置と実験(フォーメーションフライト)の構想について解説しました。
このプレゼンテーションを受けて、岡﨑ディレクターはさまざまな時間軸の組み合わせや出会いの瞬間が「現在」という根拠を生成し、スミッソンや中谷さんらの芸術作品にも転化されているのではないかと述べました。また、白井美穂さんは、自作のインスピレーションにもなったイタロ・カルビーノの宇宙SF短編「光と年月」に描かれる、宇宙の始まりからずっと生きている老人と数万光年離れた星に住む人々が億年レベルの時差で交信する話について言及しました。
さらに、藤幡さんは、この話題に対して「同時性は人間が作っている」ものであり、そしてそこには常に「予測」が起きていると述べました。例えば、人が車を運転する場合、視覚情報とハンドルを操作する動作のズレを埋めるために道幅に余裕があるわけで、同時性には常にズレや誤差があること指摘しました。さらに、初期デジタル・コンピュータであるエニアックのメモリーデバイスの仕組みにスピーカーとマイクが使われ、音が伝わる時間が記憶装置(1秒間に1000個のデータが入る)として使われたことを紹介し、「時間と空間は入れ替え可能」というメタファーとして興味深い事例だと述べました。
岡﨑ディレクターは、現代のエコロジーを考察するうえで、今、この世に生きている生物だけと共生するのではなく、はるか古代に存在した生物や将来、現れるかもしれない生物まで含んだ環境設計を考えられないといけないと述べました。その上で、過去/現在/未来の時間のズレや断絶を乗り越えた異次元の接合点をテーマにした言説は、文学や漫画でしか展開されてこなかったことを指摘しました。その指摘を受けて、高橋明彦さんは、ベルクソンや楳図かずおの仕事は、分離せざる終えない観念と物質をつなげて、連続している見取り図を描こうとした、と説明しました。
豊嶋康子さんは、相撲のとりなおしを「時間を元に戻す仕組み」と表現しました。誤審によって負けた力士は、負傷して負けが分かっているにも関わらず、とりなおしをして再び負けてしまい、勝っていたはずなのに二度負けてしまうという結果に対して、不可逆的な出来事を可逆的な映像を使って表現する試みを紹介しました。
人類学者の前嵩西一馬さんは、人間の再定義というテーマについて、人類学的には大人、若者、子どもにはっきりと人間を分類できるとし、それを身体的特徴ではなく、クリスマスを例にして社会の習慣や儀礼によってその役割が与えられることを説明しました。さらに、人間の行動を規定していると言っても過言ではない暦についても言及しました。ブラジルでミレニアムを記念したイベントにおいて、先住民族のインデアが侵略者の西洋人によって奪われたアステカの暦を取り戻そうとするパフォーマンスを行ったエピソードを紹介しました。世界に存在するさまざまな暦は、科学と文化が交差する興味深い接点であるのではないかと指摘し、普段は気に留めないことに光を当てることが科学と芸術の一つの力であり、そのせめぎ合いの部分についてより議論を深めていきたいと話しました。
中井さんは、同時性とズレのテーマに関連して、デヴィッド・チュードアは時間差を操ることに長けていた音楽家であったことを紹介しました。チュードアは卓越したピアニストで知られる一方、それ以前は、教会の空間と一体化したパイプ・オルガンの演奏家で、反響で音のズレが著しい環境で演奏することを訓練したことによって鍵盤の操作とアウトプットのズレを巧みに操作することができたことを解説しました。
未完のプロジェクト《アイランド・アイ/アイランド・イアー》は、凧を使ったアート(ジャクリーン・マティス・モニエ)と霧の彫刻(中谷芙二子)と共に構想し、島にパラボラ・アンテナと集音性の高いスピーカを使って音の通路を張り巡らせることで島自体を巨大な楽器とみなした作品でした。楽器と人間の関係の反転を目論んだプロジェクトでしたが、条件を満たす島が見つからなかったことから実現せず、構想の全貌がわからないまま、ほとんど知られることがありませんでした。中井さんは、実現しなかったことは失敗なのか、それとも、完成しなかったことから分かることは何か、ということをこのプロジェクトを通して考えてみたいと述べました。
その投げかけに対して、岡﨑ディレクターは、美術館は作品の完成形を決定できない立場であることを指摘し、いつか破綻することを想定している都市計画のように美術館が存在することが望ましいと述べました。そのことは、作品の再生可能性を担保することにもなり、チュードアの作品が未完であることによって、結果的にオープンエンドに作品のどこかにチューニングできる可能性が残されたと解釈できると述べました。
高嶋晋一さんと中川周さんは自身の映像作品をプレゼンテーションし、映像は持ち運び可能な情報のコンテナーであり、カメラや再生機は劣化しても撮影されたデジタル映像自体に影響は及ぼさないとコメントしました。それに対して、岡﨑ディレクターは美術館を再生機あるいはコンピュータと比喩し、劣化する美術館は摩耗しないデータを集めるだけ集めておくことによって、コンテンツを解像あるいは再生する可能性を残すことがその使命であるのでないかと、美術館(コンテナー)と作品(コンテンツ)の問題を再び引き合いにしました。
さらに、藤幡さんは、1940−70年代に香港市内で撮影された写真から三次元のデータを起こし、さらに役者を使って再現し、写真が実際に撮影された場所へ行くとAR技術によってスマートフォンを通して被写体を見ることができるプロジェクト《Be Here》についてプレゼンテーションしました。それに対して、岡﨑ディレクターは、解像する装置が変われば呼び出されるデータが異なり、かつては解像できなかったデータが呼び出されなかったりするなど、人間のあり方が変わるだけで見えてくる情報の種類や深度が変わってくることを指摘しました。さらに、データを蓄積し、それを解析し、仮説を立てるプロセスは研究所や実験室の概念であり、「かがく宇かん」プロジェクトのモデルであることにも言及しました。また、データを呼び出す行為を「演奏」と比喩し、コンピュータによってその演奏方法のあり方が変わってきているために、より多くの演奏術が出現していると述べました。同様に、美術館制度も研究所モデルにシフトしていくべきだという考えを述べ、いわば美術館は楽器の集合で、キュレーターは演奏者として演奏変更可能性を残しておくことが役割なのではないかと総括しました。
さらに、沢山遼さんは、作品が完成したことによって、さまざまな情報が切り捨てられてしまうことや、「美」や美術館が選択と排除から成る一つの権力として機能する一方で、楽器は再生装置として機能し、それは削減されなかった情報の再生・再生産可能性を残すという点で、興味深い対比であることを指摘しました。再生装置は、時代遅れになった理論を腑分けし、新しい理論を作り出すことに寄与するわけであるから、そのような機能を「かがく宇かん」に期待すると述べました。
一方、松井茂さんは、詩を書くことは言葉の定義を問い直し、意味を確定していく作業なので、詩作自体が科学的行為であると述べました。言葉の機能は共感を強要するためではなく、違いを確認できること、公然たる抵抗をすることも言葉の力であり、それができなければ、知性の衰退へつながると述べました。今後、この研究会ではあまり美術館だけにこだわらず、美術館という言葉自体を問うところから始めてもらいたいと提案しました。
松浦寿夫さんは、中谷宇吉郎の言葉「雪は天から送られた手紙である」から本公開研究会が始まったことに立ち戻り、「手紙」という言葉が注目するに値すると指摘しました。「手紙」とは読むべき対象であり、何が書かれているか解読するためには時間がかかる場合があり、そして手紙は必ず遅れて届くという点です。近代以降、科学技術がとりわけ時間のディレイを削減するために発展してきたことに対する疑問を投げかけました。
最後に、山下修平さん(加賀市教育委員会教育長)は閉会の挨拶で、なぜか「加賀郷土かるた」の中谷宇吉郎の絵札が真ん中に置かれることが暗黙のルールになっていることを語りました。読み札「うきちろう せかいのトップ ゆきはかせ」が読み始められる「う」の瞬間に皆の手が一斉に中心へ伸びるそうです。このように地元の人々からも親しまれている宇吉郎を輩出した加賀市で、今後も「かがく宇かん」プロジェクトを継続し、世界へ発信していきたいと述べました。