比喩として「土俵」という言葉が日常的な討論の場で思いがけないほど頻繁に出てくる(気がする)。現代美術家が参加するよくあるタイプのセッションでも、普段それほど相撲をみているわけではない人物が「土俵」という言葉を使う(私もかつて使っていたかもしれない)。話の前提と領域を限定・再確認してみようという流れになった時に視点の初期化を促す意図があるだろう。要するに行き詰まったタイミングで使う。
内容が膨らむに従って、もつれてしまった話題をスタート地点に戻し、その場の条件の要素と限界を確認することは、現在の相撲の「土俵」のあり方に至るまでの複合的な歴史的変遷までは考慮していない(気がする)。相撲が存在しない国の言語に意訳すると「土俵」という固有名詞は消えてなくなる。また例えばモンゴル相撲は草原で行うので相撲はあっても「土俵」は無い。
表現のフレームそのものの取り扱いは、私の制作の中心の問題であった。「土俵」という例えを使うとき、それは個人で選択した活動範囲であり、作品の支持体であり、作品を設置する空間やそれをとりまく世間・社会の状況に対応させていた。しかし実際の「土俵」とは、行司があげた軍配に物言いがついて審判たちによる審議が土俵上で始まるその時、同時に本場所会場のビデオ室では審判部の親方達がビデオ判定もして、その結論は土俵上に届けられている(たぶん、土俵上で審判長がつけているイヤホンとビデオ室は有線の電話で繋がっている)場であり、またNHKの大相撲生中継ではその取り組みのスローモーションが数回再生され、アナウンサーによる実況と解説者によるコメントがつけられる場であり、それらすべてをリアルタイムで観ることができる場であり、審議結果が「同体」であれば「取り直し」が可能な場である。審議後、審判長が説明する結論には、先ほどまでテレビ解説によって語られていた模様と異なる結論が出るケースが毎場所必ず数回ある。様子を見守っていた観客はどよめき、SNSにはその判定に対する異論が多数投稿されて荒れる。取組直後、行事の出した勝敗に物言いをつけること自体は審判の親方衆だけではく土俵溜まりにいる力士にもできる。しかし、審判たちに協議され結果が出てしまえば出された結論に従うしかない。この不可逆な展開に対して、いつも「このやり直しの効かない誤りは、かつてどこかで経験したような気がする」といった無力感を与えてくれる。そのような場が「土俵」である。
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2007年名古屋場所12日目の魁皇と白鵬の取り組みを観続けている。東に魁皇、西に白鵬。取り組みの流れは以下の通り。
立ち合い。白鵬は右を固めて立ち、左おっつけ。魁皇は右差せず、前にでる白鵬に魁皇はいなして左に動く。突いていく白鵬、突き返す魁皇の右を手繰って泳がすが堪える魁皇は向き直って右を差す。さらに突いていく白鵬、右で突いたところを魁皇からの左おっつけにも構わず突いていく、魁皇は一旦体を右に開いくが白鵬は魁皇の正面についていき、白鵬左上手狙う動きをするも魁皇右で白鵬を突き離す。右で突き返す白鵬へ左でおっつける魁皇だが白鵬は右を差し前に出てすくい投げにかかり魁皇の体を起こしていく。そこで魁皇は体を開き前に出る白鵬を泳がせる。しかしこのとき魁皇は左差されつつも小手に振る。これによって白鵬の足がついていかなくなり前のめりになる。この時魁皇は土俵際で左足を徳俵においてバランスをとり、右足はかろうじて土俵伝いに引いている。そして白鵬が前に倒れた時には魁皇の右足は宙に浮いている。白鵬が倒れた後に魁皇の右足は土俵のそとに着地し、そのまま土俵の下に降りていく形になる。軍配は白鵬に上がる。
刈谷アナウンサー:「魁皇の足はどうか?白鵬の態勢かと思いましたが最後左突き落とし[*1]。右を差して行くところ左からの突き落としです!」
物言いがついて審判たちが土俵に上がり協議が始まる。テレビ中継ではスローモーションで再生される。白鵬が魁皇より先に土俵に落ちる場面が映る。
北の富士勝昭:「あぁ…。」
刈谷アナウンサー:「あぁ…。」
北の富士:「あぁ…。白鵬負けてるねこれ。」
刈谷アナウンサー:「魁皇、残ってます!木村庄之助は魁皇は土俵を割っているとみて白鵬にあげましたが…!」
北の富士勝昭:「詰めを誤ったねえ」
刈谷アナウンサー:「ぅね~!んー!これまで、よく序盤で見られた白鵬のこの詰めの甘さ!このところ何場所かですね、場所が進んでくるとこういう甘さはなかったのですが…。ここにきて…! 」
(土俵上の協議が終わり審判長が土俵下に戻る)
刈谷アナウンサー:「さあどうか。放駒審判長です。」
放駒審判長:「ただいまの協議について説明致します。行司軍配は白鵬有利と見て西方に上がりましたが、魁皇の飛び出すのと、白鵬の落ちるのを同時と見て取り直しといたします!」
刈谷アナウンサー:「うん、そうだろうなと、よし、というような感じで頷きました。おそらく魁皇としては自分の体がないかなという思いもあったのかもしれませんね。」
北の富士勝昭「……。そうですね……まあ……どうなんでしょうそのへん……。おっと魁皇?」
刈谷アナウンサー:「あっ!魁皇がちょっと…! あっ!足を引きずってます!ああちょっと苦しそうです!ああ左の…。実はあの、魁皇が中日に琴光喜に敗れた時に左の股関節を痛めまして、その日の夜は、もう階段を上がれないくらい、あのう……、痛めました。なんとかこう治しながら、治療しながら、土俵に上がっていた魁皇。今の、最後のこの突き落としの時にまたあの……ああっ……!これはちょっと……取れる状態ではないかもしれません!」
取り直し。ゆっくり腰を落とす魁皇を待っている白鵬。先に手を着いて待つ。立会い。立ちながら左張る白鵬、すぐにそのまま左を差して前に出る。左で突き放す魁皇。いったん両者離れるが、白鵬すぐに左上手で右を差して寄る。魁皇は白鵬の差した右腕を抱えてとったりを打つ体勢になったまま土俵を割る。
以上の取り組みを私は2007年の名古屋場所12日目に録画した。その後すぐに自分のiTunesに入れていた曲と時間の長さを同期して標準以下の画質の動画データにして今も観続けている。立会いから最初の取り組みが終わるまでの曲はThe StranglersのBlack and White(1978年)というアルバムから曲、Outside Tokyo(The Stranglers- Outside Tokyo https://youtu.be/Kt0tBmJ35qA)と合わせている。この曲は高校生時代に兄から教えてもらって聴き始めた。取り直しの曲はVíctor JaraのEl Carretero(Victor Jara – El carretero https://youtu.be/MqNUsHUYWQ4)と合わせている。この曲は竹村淳の「ポップス・グラフィティ」(NHK-FM放送)でVíctor Jaraを知ってから、竹村淳のオンラインショップでCD「VICTOR JARA(1966)」を購入して聴き始めた。