体系化や因果ではないかたちで、たとえば身振りとして人間の営みを理解する試みを、人類学という名を借りて考えてきました。空からの恋文を読む科学の心に寄せて、私自身がアメリカや首都圏や沖縄、そして加賀のあいだを歩きながらつらつらと考えていた事柄を、どこかに横滑りさせてみたい。常に共同体の問いに関わり合ってきた私がときおり考えている事柄の断片を、皆様との討議や加賀で出会った風景から持ち帰ったものと重ねつつ、差し出してみます。
かたちの共同体(見たことのないフォルムやら美術史を彩る様々な様式やら)、時間の共同体(たとえば昨日今日明日から1971年、平成など)、事物と技術の共同体(楽器演奏や職人技など)というものを想像する。
芸術作品はあらゆる共同体の規範(ノーム)を破ってよいとする免罪符として使われる恐れがある。つまり芸術は、各共同体のそれぞれの掟がそのまま温存されるための道具として逆説的に成り下がる危険性がある。
科学や芸術における普遍性の問題を抽象的なものにとどめておかないためにはどうすればいいのか。抽象的なものを地面に下ろし、根付きのものと接合させる作業、いわば現象や経験と言葉を接ぎ木する作業は、人類学においてフィールドワークという剪定鋏でその形を整えてきた。私がその鋏を手にする際にいつも感じる、ある種の「重さ」をたよりに、小さな共同体の路地裏から少し考えてみたい。(以下の話題はかつて岡﨑さんとやりとりをしたトピックでもあります。)
とある研究会に参加していた折、2人の研究者仲間と京都駅周辺を散策する機会があった。部落研究に携わる一人がこの土地の歴史についていろいろ話を披露し、古都の路地裏で、フランスからやってきた新進気鋭の科学史研究者と部落研究者の彼がその界隈の街並みや看板などの写真を撮り始めるにつれ、私の胸中は次第に強烈な違和感で満たされていった。悶々としながらも、しばらく歩いて街並みを抜けきったあと、彼らにそれを伝えた。私には今我々が行っている行為そのものに強烈な違和感があると。しかし私も彼らも同じ研究者というくくりなのだ。もしも地元の不良少年たちが「てめえ何撮ってんだこの野郎!」と凄んできたら、そこで私も同じようにからまれるのは当然なのだ。この事態をどのように言葉に落としていくか。また言語化するということにどのような意味があるのかをめぐって、ひとつの命題を立ててみたい。つまり、メタレベルを持つことが定常化された状況において、ひとはシニカルな態度以外の態度を持つにはどうしたらよいか、という問いである。
ここでは、とりあえず、「小さな正義」をめぐって卑近な例を拾いながら歩いて行こう。かつて綴った子供の眼とフィクションという補助線をたよりに。
町で年一番のお祭りがあって、息子が射的をやりたいと言うので連れて行った。「小さい子は台の上に座って撃っていいよ」とお店の人に言われたので、抱きかかえて彼を台に乗せる。台の上で正座して銃を構え真剣に狙いを定める5歳児は、そこで「聖なる」時間を作り出す。上段に陳列してある人気ゲームソフトや大型銃なんてまず打ち落とすことができないようなからくりになっている(そもそもコルク弾は真っ直ぐに飛ばない!)大人の俗なる世界=あこぎな仕組みを、銃を構えている子供は知らない。知らなくていい。知らないからこそ彼は真剣になれる。これを大人は子供=夢の世界だと言う。でも子供にとってそれは現実の世界だ。この現実=夢に、この真剣さに、大人は500円(で6発)を払う。
このとき、大人は資本主義のからくりを主体的に選び直す態度を発生させているのか。あるいはこれが制度の中で主体的に生きるということなのか。少なくとも、この態度は「シニカル」なものではないだろう。
たとえばそれは、フロイトの言う「超自我」に近いものかもしれない。子供を見つめる親の視点。この超自我的視点がもたらすメリットを考えると、それは子供の成長を願うという「善意」に辿り着く。子供が主体的に意志決定する能力を培うため(まで)の時間を用意すること、それがすなわち、教育なのだ。(では、大人は自らを教育するためにどうすべきなのか。)
ところで、クリストファー・ノーラン監督の映画『バットマン』新三部作のバットマンは、結局「終末」を延長することに力を注ぐだけだ。(岡﨑さんのバットマン解釈でその多くを学んだ。)自ら敵を殺せない気の弱い男が申請する「時の延長」こそがバットマンの「正義」なのだと。上記の射的の話をそのことに無理矢理結びつけてみると、こう言えるのではないか。つまり、その先延ばしされた「時間」を必要とするのが教育なのかもしれない、と。この延長される時間に投資する、具体的な祈りを「教育」と呼ぶのかもしれない。そして「先延ばしにする行為」によって我々自身もまたここまで辿り着いていたということも考えるべきなのかと。この先送りこそが、「ノロマとしての芸術」であり、あのナマケモノの動画が示唆するところなのではないか。
もちろんこの例については適切ではないという異論もあるだろう。というのも、このような場合、たとえ可能性がおそろしく少なくとも、上段に陳列してある人気ゲームソフトや大型銃が撃ち落とせる方法が必ずあると、考えてしまう大人はいるだろうから。それはおそらく景品の中心でなく、台の足下とか、ぎりぎりの肩のところを狙って回転力で落とすとか、そういうことを考える。(で実際とれることもある)。つまり、大人の考える「希望」である。(ここは、希望だけに、決して大人に限定される必要はなく、子供もそう考える、そう考えて欲しいと望まれる。)
ところが大人の目線で考えると、問題は、たとえここで名人芸でとれたとしても、1000本に1本もあたらない宝くじのように、そこまで含めて、資本の仕組みはぜんぜん損なわれない。すべて奪い取られてしまうのと同じだということを、一方で知っているということだ。技術を持っている自分は万が一の方をとれるかもしれない、が残りはすべて犠牲になる。それを知っていて、こんなことをやる意味はどこにあるか。つまり、ここでの陳述は「絶望」である。
この両極に理解される「解釈」の枠組みは倫理的にどう考えたらよいのだろうか。バットマンは、この希望の方(つまり「遊び」の楽しさ)をとりあえず肯定する。おもちゃで遊ぶ子供と同じ、先までみない根拠の無さで、いわば、「今ここでの可能性」(それが先にどうなるかまでは考えない、考えるとすべては駄目に決まっているので)のみを肯定的に受け取る、子供のような態度でもある。と考えると、映画のなかで存分に世界を破壊しようとするジョーカーとさして変わらないが、ジョーカーはむしろだったらゲーム自体のルールのなさを暴いて、暴れてやろう、たとえば、子供が銃を狙っているときに失礼とお尻を蹴飛ばしたり、射的屋のおじさんの注意を逸らしておいて、銃声を響かせつつ、実際は石を投げ込んで的を倒すとかいう、反則技をする中学2年生的な態度とも言えるだろう。「おじさん、見ていなかったかも知れないけれど、撃ち落としたよ」と。射的屋もさすがに「いや、僕ちゃんね、これは倒れないようになっているのだから、倒れるわけがないんだよ」とは反論できまい。よってそのジョーカー=中学2年生は商品をまきあげてしまう。
ちなみに、近年話題のyoutuberの世界では、お祭りで子供達からお金を巻き上げるテキ屋のからくりを暴き立て(くじを全部買い占めて結局アタリなどないことを示す)、小さな正義を掲げる面々がいる。しかし、そのyoutuberたちが依って立つのは結局警察という現実世界の権力装置であり、彼らが、全てを破壊して規範の在処を白日の下に晒そうとするジョーカーとはほど遠い存在であることは云うまでもない。
さて、根拠のないルールだと知りつつ、そのルールを遵守し、そのルールの弱点をねらうというバットマンの「希望」(ゲームでファインプレーをするが、大人から見ればシニカルにしか受け取れない)と、ジョーカーのニヒルと、どちらが正義といえるのだろうか。もちろんいうまでもなく、ルールを定める射的屋が組織的な詐欺(搾取)システム=資本主義を遂行している以上は、バットマンもジョーカーも正義ではない。正義などはそもそもない。
もしこのたわいもないお祭りに発生する興行的挿入話に違いを見つけるならばそれは、この子供=バットマンの無根拠で前向きな姿勢、つまりは希望であろう。突き詰めれば、無根拠で意味のない、それを解いたとしてもいずれ悪に結果する(回収される)だろう、いかなる難題であれ必ず解決できる以上はさしあたりその解決にかけてみる、という好奇心というか、スポーツマンシップのような態度。これを善いというべきか、悪いというべきか。
一方で、悪党が悪党と名乗ることで表出される政治的なもの、そして倫理的なものがある。この領域は、たとえば石牟礼道子の『苦海浄土』において、水俣患者が、視察にきた厚生大臣を前に感極まって「天皇陛下万歳!」とやってしまうことと、繋がる恐れもある。つまり、下位の者が代理表象する「もの」がないために、やすやすと最上位と繋がることによって価値体系を転覆してしまおうと試みる。そしてそれは、結局価値体系の再強化に繋がる恐れがある。あるいはその一方で、もちろんそこでの天皇が、階級社会の頂点ではなく、故郷としてのクニ=共同体から直接繋がる象徴として、すなわち国家stateと対立するnationの象徴として換骨奪胎されている可能性もある。ここでの問いは、弱者の戦略として換骨奪胎して援用される「天皇」をわれわれも戦略的に認め、その「叫び」を再び政治化すべきなのか、ということになるだろう。
ポール・ド・マンが(「現代生活の画家」でギースの描いた絵に言及した)ボードレールから読み取った「モダニティ」とは、要するに「結果を考えない態度」だった。歴史に位置づけず、目の前の難題を解決しようとする態度。世界はもう滅んでいる。滅んだ後の恢復期の態度。それに比べれば、ジョーカーは歴史の終わり寸前のニヒルであり、老衰期のアナーキーにすぎないのか。「解決」という時間の先取りをはずしたとき、子供の無根拠さがユーモア(寛容さ)になる。
だが映画『バットマン』はそれを描こうとして失敗しているとも言える。なぜならば、あまりに主人公バットマンにユーモアがなく、ジョーカーの悪ふざけに対抗できるユーモアを備えていたのは、むしろバットマンの後見人の従者(老執事)のほうだったからだ。ここで温存されるのは資本主義の蓄積の問題であり、それは、加賀で我々が目撃した北前船の歴史の存在としての博打的面白さと悲哀に繋がっていく。
射的の場面でジョーカー=中学生の目線が「子供」と「大人」の間に差し込まれるロジックは、人類学の一般的な理論に由来する。「若者」があらゆる通過儀礼の場面において、ときに外国人や奴隷といった共同体の他者と手を組んでそこに表出すべき暴力を担う「若者」は、幾人かは死に、残りのものは共同体の一員=「大人」になり、「終わり」=「目的」の概念を獲得する。「終わり」を先送りにする、永遠に通過儀礼の暴力をふるい続けるジョーカーが、共同体の実存的な「目的」=構成員の再生産の対象でもある「子供」に太刀打ちできないのは、少なくとも共同体の論理にすでに内在しているということかもしれない。ユーモアもまた超自我の働きによってもたらされるものなので、やはりシニカルな態度ではない我々が取り得る態度のひとつは、ユーモアということになる。ユーモアを教えること、これが先の問いへの暫定的な答えになる。フランス人の研究者と部落研究者の彼を同時に包み込むようなユーモアのマントを翻すスタイルを、あらゆる共同体の路地裏で私は探し続ける。
この地点から、私はかつて沖縄の語りについて考えてみたことがある。語りの中における表層的な言葉を相手にするのではなく、その語りが前提とする「身振り」を聞く者に落とし込む所作について考えた。沖縄に甘える日本がこどもで沖縄がおとなという関係性がその答えだった。そして、その身振りが共有される「場」を相対化するために、あらゆる語りの場における「移ろい」の感覚を共有することで研究は進んでいった。しかし現実はそのままの足踏み状態だ。さてどうするか。どうもしない。なぜならこれが教育だから。ノロマの教育、祈りの教育。
ひとが等しく結局は死ぬように、全ての共同体にend(終わり/目的)があるとしたら、その死をできるだけゆっくりと先送りにすることで(ノロマ)、生の因果(ノルマ)が達成される。これが芸術の普遍性の具体的な姿のひとつだとするならば、では科学の普遍性はどうだろう。
東京の下町と呼ばれるような地域で、道に迷ったことがあります。たまたま隣で信号待ちをしていたひとに駅までの道のりを訊いて、信号が青になったので急いでお礼を言ったあと横断歩道を足早に渡ってしばらく歩いていたのですが、駅にたどり着く直前でどうやら間違った道のほうに入ってしまったらしいということに気がついてすぐに引っ返すと、そのひとがその分かれ道のところでつっ立っていてこちらを見ているのに気がつきました。(その方は自分の前を歩いていてずんずん間違った道に入っていった私に声をかけようかどうか迷っていたと思われます。そんな佇まいでした。)私がそのひとを見つけると同時に、そのひとは駅への正しい道を指で指して、ぎこちなく笑ったのでした。
「えき、あっち」とぶっきらぼうにも聞こえる日本語を小さく放ち、信号待ちのときに指を指していた動作と同じ動作を、また繰り返してくれました。
私が信号待ちのときに道を尋ねた方は、生活の疲れをどこかに感じさせると同時にひとなつっこさの滲み出ている日本語に訛りのあるアジア系の外国人でした。その光景は、私が海外に住んでいた頃によく道を訊かれ、身振り手振りを交えながら片言英語で応答していた姿を彷彿とさせるものでした。
英語が通じない人たちも大勢いるニューヨークでは、こちらが道を尋ねると、目的地までわざわざ連れて行ってくれるひとに時折出会います。言葉でうまく説明できないので、じぶんのからだで連れていってやろうというのです。最初は驚きました。どれだけ暇なひとなのだろうと。物騒な都会だけに、ひょっとして怪しいひとなのかと訝ることもありました。
暮らしているうちに、いつしか私自身もじぶんのからだを使うようになっていました。きっと暇なひとだなと思われるだろうなとか、もしかしたら怪しく思われるだろうなとか考えつつも、そうしている自分をおもしろがりつつ肯定している感覚が、異国で暮らす生活者としての自分にとってのみならず、「共同体」の理論にとっても、貴重なものだという確信がありました。
いま考えると、それは「よそ者」がその街の一部になるための過程だったと言えるかもしれません。(一緒に)歩くという行為もまた、ことば同様、共同体意識に関わる重要なイシューのひとつだと気がついたと同時に、そのような行為がありふれた路地こそが、ひとの一部となるような(魅力のある)街を育てるプロセスを表しているのだと理解しました。
ここで使っている「外国人」のイメージは、ひとによって異なりますが、豪奢な屋敷に住まう、市井の人々がうらやむような暮らしぶりを誇る「異人さん」でもなければ、犯罪率を上げる厄介者といった低俗なステレオタイプで括られる「ニューカマー」でもなければ、資格や技能と同格の意味で用いられ、経済指数に一元的に還元されてしまう「労働者」でもありません。
あの、道を尋ねた私がずんずん先を急ぎ、勝手に道に迷ってしまった私がそのことに気づいて引っ返してくる姿を見つめ、(たどたどしい日本語で)声をかけようか戸惑い、自分の存在に気がついてくれた共同体の先住人=他者の視線を捕まえるやいなや、ミニマムなことばと身振りで、真摯に手助けをしようとする(=道を教える)イメージです。憧れの対象でも蔑みの対象でもなく、(がたがきつつあるかもしれない)社会の部品としてでもなく、「共同体を築く」そして「共同体に気づく」プロジェクトにともにすでに参加している、共同体のエッジに立つ、新しいメンバーシップを担う者としてのイメージです。
外国人(よそ者)が道を教えてくれるという経験をしばらく考えていた私は、これはひょっとして科学の作法(普遍性)と似ているのではないかと思い始める。事物や技術の共同体に住まう、「自然の摂理」という、「いま」を構成しているにもかかわらずこの世界自体のまったき外つ国の、彼の身振り、彼女の文字。規範のそとは濃霧のなか。ここまではここから。