こうして考えたり、文章を書いたりすることができるのは、自分自身がまだこの世界に生きているからだ。生きているといろいろなことができる。「生きている」と口に出して言うことは簡単だし、そのまま死んでしまえば、人生は要するに死ぬまでの暇つぶしなのであろう。それはそれでいいのかもしれないし、そんなこといちいち考えていたら生きてはいられないと言われるのが落ちだろう。とはいえやっぱり、いろいろな疑問が持ち上がる。中でももっとも難しい問いは、「なぜ、自分はここにいるのか。」という問いである。この世界に生きている理由はなんなのか?なんの目的のために生きているのか?そもそもここにいる原因はどこにあるのか、そして自分の過去現在未来とはいったい何なのだろうか?こうした問いは極めて根源的なものである。もちろん間違えなく、誰もが、いつも、どこかに抱えている問いなのだが、この問いに答えることが難しいだけに、おそらく日常生活の中では常に先送りされてしまう、そういった問いである。
まず、この世界に自分がいることの原因ははっきりとしている。誰も自分の意志でこの世界に生まれてくることはできない。そもそも自身の出生は自身で選択することができないのだ。興味深いことに自分が生まれる時には、まだ自分というものが存在していないのである。実際には生みの親である両親によって決定されてしまう。誰もが母親の体内から生まれてくるという事実は拭えないわけだ。こうした物理的な意味での自身の存在の原因が解っても、しかしそれは上記の問いへの答えにはならず、問いは両親の存在の謎へと引き継がれてしまう。両親でさえも、なぜここに自分いるのかを答えることができないからだ。ここでむしろ問題なのは、この問いを覆い隠そうとするさまざまな要因があって、普段この問いを思い出させないように、私たちは仕組まれているのだ。普段私たちは、生きている自分を肯定して生きている。裏返すと死を否定し、見ないようにすると言ってもよいだろう。生きている自分の肯定=死の否定へと意識を向かわせることで、自己存在への問いを想起させないようにする。具体的には、生きることへの欲望が優先され、死にたくないという欲望が喚起されるのである。最終的にこの欲望は、ただひたすら自らの存在を肯定してくれる対象の希求へと至る。自己肯定化のプロセスを経験することで、自己存在の謎を覆い隠すことができるからだ。現実の生を謳歌することで、死を忘れることができる。現代の商業資本主義は、こうした人間の欲望を、目に見える形にし、手に取ることができるように対象化した。お金で買える対象とすることで大きく躍進してきたのだ。こうした代替えできる対象物で欲望が充足されない場合には、行き過ぎた自己肯定化は他者の否定に至ることもあり、時としてその否定は他者への殺意となることさえあるだろう。
究極の自己肯定化は、世界の所有へと至る。世界を手に入れたいという欲望とは、歴史的に見れば政治的権力の奪取が具体的な事例であるが、現代の小市民的な世界所有欲望は、要するにショッピングである。ショッピングはなぜ自分が生きているのかへの問いかけを隠蔽し、生きている自分を肯定化する。世界の断片ではありながらも、それを金銭によって所有するということだ。できれば、他者が未だ所有してはいない対象を、自分が所有しているという優越感が、自分のこの世界への存在を肯定化してくれる。しかし、当然ショッピングで買えるものは単なるマスプロダクツに過ぎず、自己肯定化の偽物、所有の単なる模型に過ぎない。
これらはいずれも、「なぜ自分はここにいるのか。」という問いについて考えることを停止させ、隠蔽させる。その疑問について深く考えるための入り口を封鎖する。まるで人間世界は、この問いに触れることを忌避しているかのようだ。この「かたい」世界の中で、もしもそのチャンスがあるとすれば、それは常に予想外の出来事、「事故」として目前に現れるものだ。それは本来起こってはいけないことであるのだが、誰でも過去にいくどかは予期できない事故に遭遇してはいるだろう。振り返ればなぜあの時こうしなかったのか?と問うことは可能だが、事故はまったくの予想外の出来事として起こるものだ。生きている瀬戸際と出会うその時、突如として「なぜ自分はここにいるのか。」という問いは立ち上がる。そして、「生きていてよかった。」となるわけだ。事程左様に、多くの場合、事故は速やかに修復される。死にそうな事故でさえも先進的な病院治療によって回復し、この問いについて考える機会は奪われてゆく。素晴らしいことに、常に「事故」は、事後的には無かったことにされるように出来ているのだ。
さて、ここではっきりと言えることがひとつ出てきた、事故だけが「なぜ自分がここにいるのか?」という問いへの扉を開くことができるということだ。しかし、それは目立った事故だけを指すのではない。例えば、今日が昨日とは異なって見えること、人間と動物の違いとは何かふと疑問に思ってしまうこと、月と太陽の違いを知りたくなってしまうこと、こうした知ることのはじまりもまたある種の事故と言えないだろうか? 知ることとは、一見して違いの無い対象に違いを見つけることからはじまる。一定したパターンの中に乱れが見出された時といってもよい。この乱れが、なんらかの兆しに見えるためには、気付きの力が必要だ。対象の小さな変化は、普段の生活では見過ごされてしまうものだ。違いを見つける観察力には、現在と過去を比較するための記憶力も必要だ。今日と昨日を並べることが、知ることのはじまりになる。逆説的に言えば、日常の中に無数の事故的状況が隠されていて、それは「気付きの力」によって見つけだされるまでは、ずっとそこで待っているに過ぎず「事故」は起きない。ということは、「なぜ自分はここにいるのか」について考える機会=事故は生まれないということになる。
そもそも知識が生まれるには、知りたいという欲求と対象への気付きの力が必要だったはずだ。違いへの気付きが新しい発見につながり、発見が証明されることで知識となって体系化される。皮肉なことに、こうして他者によってあらかじめ蓄積された知識を持つことで、事故を防ぐことができるようになり、未来を予測することができるようになる。知識として知っているだけでは、いくら知っていても、その中でいくら考えても、それはすでに知られてあるものを扱ってるに過ぎず、知識を振り回しているに過ぎない。それは、知ること、考えることの根幹に触れてはいない。知っていることを伝える、知られていることを学ぶ、のではなく、その元になっている知識がどのようにして得られたのかという方法について知る必要がある。知の獲得には、「気付きの力」が必要であることに気付く必要がある。
気付くという活動は、全身体的な活動である。気付きとは、時間と空間の中での自分のすべての振る舞いに関わったパーフォーマティブなアクトの結果なのだ。この違いを発見するためには、あらゆるアングルから世界を見直す必要がある。いままでと違わない部分と新しい部分の違いを判定することができなければならない。身体を動かすのはそのための必然である。子どもにとって、対象世界の中にある違いの発見と身体的な遊びの間にはほとんど違いはない。対象に飛びつくようにして憑依して対象を理解すると書いても良いかもしれない。子どもたちの世界理解の方法は唯一全身体的なものなのである。それこそが自分自身の「生」を謳歌することであり、自分が生きていることを確かめることなのだ。
対象の違いに気付くためには、対象を比較する方法が必要だ。それは要するに記憶力なのだが、学校で丸暗記させられた歴史の年号のような記憶力のことではない。視覚や聴覚や嗅覚やはたまた触覚までも動員して、行われる記憶力があってこそ、私たちは異変に気付くことができる。それは数字や言葉によって、行われる比較ではないのだ。こうした身体的な記憶力を鍛えるためには、それらの感覚器官を刺激する必要がある。それも人の発達の臨界期に合わせた刺激が本来は必要だ。視覚刺激を強化するためにも、母親からの言語的なナビゲーションは有効だろう。「ほら、あそこにセミがいるよ。」「えー、どこどこ?」というやり取りがない限り子どもはおとなになってもセミを見つけることはできないだろう。これをセミの生態についての科学的知識とは考えない。これは環境に対する感覚を開くことであって、知識の吸収ではない。こうした気付きへのナビゲーションが新しい発見をもたらし、次世代の科学者やアーティストを作り出すのだ。
小学校の理科の時間に、植物図鑑を編纂した牧野富太郎の話があった。そこで植物のスケッチの方法が授業で披瀝されたのだが、先生はまず、「葉脈にしろそれを一本の線として描くのではなく、点と点を結ぶように描きなさい。」と言ったのだ。今だからいえるのだが、「自分が観察した対象に感情を入れてはいけない。対象を見たという事実だけを記録しなさい。」ということなのだ。描くことに気持ちの中心を置くのではなく、対象をよく見ることに専念しなさいということだ。こうして描いてみることで、私たちの身体は対象を詳細に記憶する。葉裏に毛が生えていたなあとか、茎が幹にしがみついていたなあとか、自分自身の身体的な経験を比喩として使って対象を記憶するのである。この経験を持って、山に入ることにこそ意味がある。気付きの力はこうして増大する。
机の上に置かれた水の入ったコップを描こうとすると、誰でもが対象を観察することになる。対象の色や形をそのまま写真のように写し取れば、それで描画行為は終わると考えている人が多いかもしれないが、実際に対象を観察するのはその色彩や形を確認することではなく、その色彩や形がどうしてそこにできているのかを知ることである。コップの底の明るく光った部分がその先の窓の外の光であることが、その間に手をかざすことで判ったりする。小さな縁の写っている赤い点がテーブルクロスの飾りであることが判ったりする。そうして身体を動かし、手を動かすことで実験してはじめて、コップが部屋の中にどう置かれているかが理解され、コップの中にこの部屋すべてが写り込んでいることに気付くのである。描くという行為がもたらす気付きへの恩恵である。
かつて自由学園の音楽の授業では、鳥の鳴き声を五線譜に写してくるという宿題があったらしい。これは鳥の鳴き声を真似るのとは違う。ある種の絶対的なモノサシを置くことで、感覚に客観性をおいてみようということだろう。音程とリズムには絶対的なものがあると思えるが、メロディというのは曲者だ。かつて友人に、「30分前に聴いたメロディーが一周回って転調して戻ってきたよ。」と言われた時に、自覚したのだが、僕自身はメロディーへの記憶力があまり高くないらしい。聴いた対象の音列を記憶するという機能が幼少時に鍛えられなかったからだろう。五線譜がその鍛錬の方法として最適かどうかには疑問があるが、グラモフォンの発明以前の時代にとって、五線譜の発明は画期的だったに違いない。
喜納昌吉が子どもの頃に、手に入れたギターを弄っていたところ、それを聴いた年長者が「昌吉それはCっていうコードだ。」と言ったという。喜納昌吉はコードを習う前に、ギターからコードを探り出していたのだ。つまり、ギターという楽器にはコードをベースにした音楽の文化が内部に組み込まれていて、気付くことができれば教則本なんかなくても音楽がでてくる。それも西欧の音楽の歴史を背負った音楽が自然と出てくる。楽器とはそういうものだということだ。
言語的な知識ばかりが知識ではない。身体による経験的な記憶が知識となり、それを人間は、人工物に機能として記憶していった。それは新しく経験しなおすことで、読み出すことができる記憶であり、知識であるのだが、言語的な方法によってはいないので、大きく見落とされてきたのではないだろうか。
事故が大きな発見に結びついた事例は数多い。間違って配合した結果、これまで得られなかった機能が発現したり、本来ならトンデモナイ間違いであったはずの出来事が結果をもたらすことがある。科学の世界では、こうしたトンデモナイ出来事がくりこみ済みだといっていいだろう。また、事故が起こるとそれを実証するための実験もまた必須である。予想外の出来事がなぜ起こってしまったのか、これまでの知見の範囲の外側を見極めて、知見を広げることで、事故を防ぐという意味があるからだ。そこでの実験は、事故を想定した実験となるわけで、事故はすでに事故としては扱われてはいない。実験は事実の証明のための方便として社会的にも認められていることで、場合によっては想定を遥かに越えた予算が投下されることもある。それは未来を現在に引き釣り降ろすための費用であるからだ。これに比べるとアート作品の立場は危うい。それは時として社会の制度そのものを攻撃してしまうことがあるからだ。そもそも、アート作品の成立というのは、それが制度化されないところに意味がある。トートロジックに聞こえるかもしれないが、気付きが知識として制度化された後に、それを乗り越える気付きに出会うということがアートの役割でもあるからだ。
また、アート作品の展示は、科学の実験と似ている。それは仮説によって制作が始まり、実験器具として展示され、最終的に観客によって実験が実行される。実験は仮説を証明するために行われるわけだが、すべてが作者の予定通り(もしも仮定があるとして)に行くわけでもなく、作者は観客の反応を頼りに自分の作品を発見するのだ。言い換えれば、作品とは安全が保証された場所で出会う事故のことなのだ。とはいえ、アートでは無責任に聞こえるかもしれないが、科学の実験とは違って証明をする必要はない。トンデモナイ出来事に遭遇すること(観客が実験に参加すること)を通して、観客の気付きの幅が広がることに意味があるのだ。ミュージアムやギャラリーは、安全な場所から狂人の行動を観察するという場所でもある。トンデモナイという意味で、科学者もアーティストも社会的な立場としては、狂った存在と言えるわけなのだが、科学者は証明できないとただの狂人だが、アーティストははじめから終わりまで狂った人でも問題はない。
この社会の縁に立つ人たち、科学者とアーティストが社会に貢献していると言えるのは、社会を揺さぶり、社会に流動性を与え、社会の縁を拡張するという機能を持っているからである。特にアートは、社会の安定という意味では反社会的な存在であり、そのことを理解せずにアートを語ると、それは必ず偽善的になってしまう。(昨今、地域の公的資金を使ったアート活動が、アートではなくただの文化活動になってしまうのは、ここで問題のすり替えが起こっているためである。)アート(あるいは科学)という根源的な問いを持つことは、とても危険なことであるが、しかし、その危険を避けてはならない。つまるところ危険なくして社会の縁は拡張されないのだから。
そういえば、こうした根源的な問いを発することが許されるのは子どもたちの特権である。「宇宙はどれぐらいの大きさか?」「宇宙はいつからあるのか?」「人間はどうして死ぬのか?」「人間はなんのために生きているのか?」どんなおとなも、こんな根源的な問いに答えることができないものだが、答えることができるようになることが目的ではなく、問いを忘れないことこそが重要なのではないか?また、時代とともに新たな問いかけが、これから発見されることもあるだろう。本当の「美」とは、こうした問いにハッとさせられた時に生まれるものなのである。今の僕には、こうした問いかけなくして生きて行くことが想像できない。
知りたいという欲求の後ろには、気付きがある。気付くことは確かに危険なことかもしれない。しかし、気付くことなくして生きていることの理由は確かめられない。その止むに止まれなさが、アートと科学のパッションである。それが、いかにもトンデモナイ行動に見えようとも、パッションは止められない。知りたいという欲求が身体を駆り立て、行動させる。それが結果として社会の縁を広げ、社会を更新する。人間は発見する、改革する、新しくなる。そのように運動し変容する社会であってこそ、そこに生きる意味があるのだ。まずは、「気付き」について考えてみることだ。