『美術手帖』2018年3月号、pp.94-99(一部改稿)
詩が関わる展覧会が多いという。言われてみれば、吉増剛造(1939年〜)の展覧会(東京国立近代美術館、2016年。足利市立美術館、2017年)や、谷川俊太郎(1931年〜)の展覧会(東京オペラシティアートギャラリー、2018年)や、その他にもグループ展として「生の根源をめぐる四つの個展」(足利市立美術館、2017年)や、「ヒツクリコ ガツクリコ ことばの生まれる場所」(アーツ前橋×前橋文学館共同企画、2017〜18年)があり、さらには高山明による演劇『ワーグナー・プロジェクト』(KAAT、2017年)に詩人、歌人、ラッパーが参加し、インスタレーションに詩の朗読を組み込んだ高嶺格《歓迎されざる者》(ロームシアター、2018年)も記憶に新しい。たしかに、美術から詩への注目を指摘する向きは、的外れでは無い。
私見では、こうした動向にはふたつの背景があると思う。ひとつめは、日本の現代美術が「アート」になってきたという観点。ふたつめは、社会の空気感として、東日本大震災以降の共感への渇望による言葉=日本語への関心の高まりという観点だ。
「日本の現代美術が「アート」になってきた」と言いたい理由は、詩人や詩それ自体が、美術館で展覧会の主題になってきたことを指している。
そもそも詩人は、ボードレールやマラルメに範を求めるまでもなく、詩以外の芸術諸学の批評家という役割を担ってきた。特に美術との関わりにおいては、まずその位置にあり、この延長において、美術や音楽へのコラボレーターとして、言葉を提供してきたと言えるだろう。
それが近年、美術分野におけるパフォーマティヴ(行為遂行的)な作品概念の浸透によって、日本でもようやく表現分野の再編が起こり、詩は絵画や彫刻に並ぶ「アート」を分母とした表現形式のひとつとして再配置されつつあるように思う。詩人は、批評家としてのみならず、作家としても美術館に関わるようになってきたのだ。詩が美術制度に取り込まれたわけでなく、「Art(アート)」の翻訳語として展開してきた「美術」という芸術の一分野が、原語へと回帰し、いまいちど、美術、文学、音楽、メディア表現を含む「芸術(アート)」を分母とした状況を醸成しているのだ。
ともあれ、日本において詩人が美術批評家の役割を担うことを習わしとしてきたことを確認しておこう。戦後日本美術に関わる重要人物を思いつくままに挙げるだけでも、西脇順三郎(1894〜1982年)、北園克衛(1902〜78年)、瀧口修造(1903〜79年)、飯田善国(1923〜2006年)、飯島耕(1930〜2013年)、大岡信(1931〜2017年)、富岡多惠子(1935年〜)、岡田隆彦(1939〜97年)、金井美恵子(1947年〜)、建畠晢(1947年〜)、篠原資明(1950年〜)、四方田犬彦(1953年〜)、松浦寿輝(1954年〜)、田野倉康一(1960年〜)、倉石信乃(1963年〜)と、枚挙にいとまがない。とくに西脇、北園、瀧口が、シュルレアリスムやダダイズムの紹介者として美術に与えた影響は大きい。
そのほかにも、足利市立美術館の江尻潔(1965年〜)、福岡市フィルムアーカイヴの松本圭二(1965年〜)、出光美術館の柏木麻里など、美術に深く関わる詩人はいまなお多い。
これまでに私が関わった、詩についての2つの展覧会を振り返っておこう。
まず「融点 詩と彫刻による」(うらわ美術館、2002〜03年)だが、本展は、河口龍夫と篠原資明、村岡三郎と建畠晢、若林奮と吉増剛造という、3組の美術家と詩人によるコラボレーションにもとづく展覧会であったが、タイトル通り、彫刻という主題に、詩人が詩を提供する関係性に止まったように思う。
次に、建畠晢と共にキュレーションに参加した「新国誠一の《具体詩》 詩と美術のあいだに」(国立国際美術館、2008〜09年)は、1960〜70年代に国際運動として展開していた具体詩(コンクリート・ポエム)の動向を、視覚詩(ヴィジュアル・ポエム)と音声詩(サウンド・ポエム)に分類し、同時代の現代美術と現代音楽の相似形として把握し、紹介するもので、文字を要素にしたポップ・アートやコンセプチュアル・アート、オプ・アート、電子音楽との関連を示すものだった。この展示では、詩人である新国を、美術家のように取りあげつつ、具体詩を美術の外部に措定し、パフォーマティヴな観点を強調するような、「芸術」を分母とする観点はまだ持ち得なかった。
パフォーマティヴな作品概念の浸透、つまり「美術」から「アート」への移行と、「アート」としての詩という位置を私が意識したのは、「14の夕べ/14 EVENINGS」(東京国立近代美術館、2012年)だったと思う。美術としてのパフォーマンスのみならず、舞踊や音楽、演劇を美術館で大胆にとりあげた本展は、小説家の朗読とともに、谷川俊太郎による詩の朗読も含まれていた。
絵画や彫刻を中心的なコレクションとする東京国立近代美術館が、作家、観衆に向けて、パフォーマティヴな作品がもたらす一回性の経験を作品概念としてアピールし、会場には、映像記録、写真記録を担当するスタッフが多く配置されていたことが思い出される。記録としての資料体の編纂を意図したプログラムは新鮮だった。メディウムに固執しない「アート」への転換を印象づける機会であった。
冒頭で羅列した、詩を主題とする近年の展覧会には、少なからずこうした観点が踏まえられていると思う。
例えば「融点」の際に、若林のコラボレーターだった吉増の位置付けは、近年の美術界において、明らかに変わってきた。詩人・吉増の活動が変化したからではなく、美術の隣人に位置づけられていた詩が、パフォーマティヴな作品概念の浸透によって、「アート」のなかの詩として取り扱われるようになってきたからだ。
同様に、谷川の場合も、詩人として、文化人としての評価に加え、パフォーマティヴな観点からの評価がこれに追加されている。それは、谷川自身の表現としてというよりも、コーネリアス、中村勇吾とのコラボレーションに顕著だ。ある意味では、観衆の眼差しが、紙面で読む詩とは異なる「アート」としての詩を発見しつつあるのかもしれない。
「パフォーマティヴな作品概念の浸透」に次ぐ、詩の流行のもうひとつの理由として、「東日本大震災以降の共感への渇望」がある。こちらは、詩というよりも言葉全般に向けられた社会からの要請と言えよう。
2011年の東日本大震災による死者、行方不明者は、約2万人にのぼる。さらに7年経った現在も、いまだ終息のめどが立たない福島第一原子力発電所事故は続いている。直接、間接を問わず、この実感を共有することが「被災」なのだ。知らず知らずに頭のどこかで、被災を共通の記憶とする「日本人」という感覚をもっていることに愕然とする。大災害に対する記憶の生成と、終わらない復興へのエールのために、社会は言葉にファナティックな共感を要請し、結果的に「日本」というカテゴライズの強調に大きな役割を果たしている。ここで動員された共感の言葉を素材とするジャーナリズムや文学、小説や詩へと、この影響は浸透しているだろう。
震災以後の言語感覚の変化は、出版文化よりも、むしろゼロ年代を通じて整備されたSNSを支持体に浸透し、とくにTwitterの文字数と、この文字数で効果をあげる言語表現に拍車をかけてきた。SNSのメディウム・スペシフィシティは、シンプルで効果的な言語表現への指向として、詩に新しい状況を提供しているだろう。こうした言語行為による「効果」への傾斜は、ある意味ではパフォーマティヴな状況にも重なる。しかし私は、これは飽くまでも「新しい状況」であり、新しい表現とは考えずにいる。震災以後の言語空間は、日常言語からいびつな様相を強めている。
2013年、田中功起と東京国立近代美術館の蔵屋美香がヴェネチア・ビエンナーレに出展した「抽象的に話すこと不確かなものの共有とコレクティブ・アクト」には、5人の詩人による協働作業を記録した映像作品《ひとつの詩を五人の詩人が書く(最初の試み)》(2013年)が含まれている。この作品は、先述した「パフォーマティヴな作品概念」とともに、震災以後、言葉によってつくり出されつつある「新しい状況」を、詩人と詩によって見事に表現した、時宜を得たマスターピースだ。タイトルが示すとおり、言葉本来の機能によって、孤立的な表現こそを主題としてきた現代詩が、同じく言葉本来の機能によって生じる「共感」をエピステーメーとし、従来の詩が排除してきた物事を共有する「最初の試み」であり、いわば震災以後の言葉の記録である。同作は、言葉の機能が持つ諸刃の剣を、そこから遠く離れようとしてきた詩人と詩によって露出している。
震災以後の詩は、いったいどこへ向かおうとしているのだろう? 冒頭に挙げた詩の展覧会に、直接的な「東日本大震災以降の共感への渇望」はあるのか? 例えば、谷川の平易な言葉、吉増の圧倒的なパフォーマンスのカタルシスは、一見対称的だが、テキストとしては、ポップで酷薄な美学を通底させた現代詩だ。しかし、これを展覧会として再編し、テキストの意味内容よりも、言語行為を結果的に際立たせようとする展示は、状況を共感し、記憶を共有し、人心の荒廃の紐帯となる言葉の力を、観衆にうながしているのではないだろうか。谷川、吉増に変化があるわけでなく、「アート」として受容されるとき、詩のコンテクストや、観衆のリテラシーも変化している。
ナショナリズムやポピュリズムの勃興をいち早くとらえた、香山リカ『ぷちナショナリズム症候群──若者たちのニッポン主義』(中央公論新社、2002年)は、当時ベストセラーだった斎藤孝『声に出して読みたい日本語』(草思社、2001年)や、日本語ラップを例に挙げ、「日本語ブーム」「朗読ブーム」に警鐘を鳴らしていた。また同書は、こうした言語行為に加え、「『朗読ブーム』と戦時下の愛国詩朗読運動の国民主義的高まりとに共通点をみる」とした、『声の祝祭 日本近代詩と戦争』(名古屋大学出版会、1997年)の著者、坪井秀人のコメントも引用し、言葉や詩による言語行為の流行を「新しい状況」の符牒とみている。私には、香山が『ぷちナショナリズム症候群』で提起した議論は、震災によって図らずもテコ入れされ、召還されているように見える。
戦後詩や現代詩は、意味過剰なレトリックを表現とすることで、言葉の機能を制御し、社会的な言語空間にリテラシーを示してきた。私もまた、字面においても、音声においても、ファナティックに向かう言語行為を無効にするアンビエントを表現とすること、そして言葉の差異を「感じ分け」、孤絶を集団に束ねるのではなく、集団を個へ解体する言語表現を詩と考えてきた。戦争詩やキャッチコピーとは異なり、こうした詩は、実際のところまったくブームにはならない。
「詩の流行」はどこにあるのだろうか? 「パフォーマティヴな作品概念」は、詩を「アート」にしたのか? 日本語を「アート」にしているのか? 例えば、高嶺のインスタレーション《歓迎されざる者》で朗読される金子光晴の詩は、現代において免疫(イムニタス)として機能するのだろうか? 詩によって日本語ブームを解体することはできるのか?
「アート」として、紙面を解放された詩のパフォーマンスからは、形式化した言葉の暴力による痛覚だけが際立ってくるようにも思われる。
私が「『アート』としての『詩』」と考えた作品をふたつ紹介しておきたい。
ひとつは、高山明演出の『ワーグナー・プロジェクト』だ。小林恵吾による空間構成は、ワーグナーの音楽が要請した近代の空間に、ルイジ・ノーノの音楽が提案した現代の空間を主題とした、磯崎新「〈パノプティコン〉から〈アーキペラゴ〉へ」(『GADOCUMENT』57、1999年)を想起させるもので、高山の演出は、アーキペラゴ(多島海)にワーグナーを再配置する試みだった。私が会場に足を運んだ日のプログラムでは、Kダブシャインが、日本語ヒップホップの美学を熱く語る姿に、ドイツ語でオペラ(イタリアの様式)を作曲することに腐心したワーグナー、さらには『ニュルンベルクのマイスタージンガー』の主人公ザックスが重なった。むろん、高山は特定の言語の美しさを語る危うさへの違和感を認識し、ワークショップを含む演劇を通してこれを示していた。ここでは、社会と演劇、代表民主制とワークショップ出演者、議場と劇場などなど、あらゆる差異が、絶えず換喩(メトニミー)をつくり出す可能性が示されていた。それは詩人、寺山修司(1935〜83年)が行った市街劇や、ボルヘスの「裏切り者と英雄のテーマ」の現代版でもあっただろう。
もうひとつは、現代音楽の作曲家、小宮知久の楽曲「泳ぎつづけなければならない」(トーキョーワンダーサイト、2016年初演)だ。この曲は、歌手が一定の音声を持続することから始まり、その揺らぎをピッチ検出したコンピュータが、次々と高音域や絶叫、速度を要請するスコアを歌手に突き付けていく。現代のメディア技術と、ヒステリックでノイジーな人間の声は、決してファナティックには響かない。悲痛な絶叫である。ここでもルイジ・ノーノが自身のオペラ『プロメテオ』(1985年)に、「聴く悲劇」というサブ・タイトルを付したことが想起される。ちなみに、ノーノの本作は、マッシモ・カッチャーリによって、ヘシオドス、アイスキュロス、ヘルダーリン、ベンヤミンのテキストから構成されている。
「坂本龍一 with 高谷史郎 設置音楽2 IS YOUR TIME」展(2017〜18年、ICC)の会場では、ライヴ・パフォーマンスが不定期に開催されていた。昨年、坂本は非同期をテーマにしたアルバム『async』(commmons、2017年)を発表した。そのコンセプトにもとづく同展には、坂本の楽曲とともに私の「純粋詩」の朗読=パフォーマンスが含まれている。
『async』は、同期することが主題とされがちな音楽概念に対して、距離を取ることを選択している。とくにこのパフォーマンスで演奏される坂本の楽曲は、霧の動きを響きにしたような作品で、演奏者が自ら演奏する音の順序やテンポを設定し、同じ音楽を演奏しているはずの他者の音を聴きながら、それにあわせるというより、自分自身をキープすることが求められる。坂本によれば、個を集団へと合わせることは、音楽の属性として簡単だという。こうした楽曲とともに、アルゴリズムで語順を決めた「一」「二」「三」という要素からなる「純粋詩」が朗読されている。パフォーマンスの形態は、試行錯誤した結果、奏者が歩きながら淡々と読むことになった。自分で言うのもなんなのだが、まったく盛り上がらない。奏者は、読み間違いのないように淡々と朗読するだけだ。霧のなかで孤独に歩き回る自由。この「感じ分け」こそが「アート」であり詩である。私は、過剰な共感=言葉の暴力に対する「公然たる抵抗」(ディファイアンス)を試みたい[*1]。