2018年 2月9日(金)に、学校法人 自由学園を訪問しました。
https://www.jiyu.ac.jp/
自由学園は、1921年(大正10年)に、ジャーナリストであった羽仁もと子・吉一夫妻により創立された一貫教育校で、創立以来「生活即教育」という理念のもと、自然と生活文化が結びついた独自の教育活動を実践していることで知られています。
訪問では、まず幼児生活団(幼稚園)や、正門前に昨年末完成したばかりの木造の建物「自由学園みらいかん」などを見学しました。園舎で飼っている鳩を通して、生物学や美術に通じる多角的な観察を行う機会をつくるなど、幼少期教育の取り組みについてご説明いただきました。自然溢れるキャンパス内を見学した後には、なんと女子部(中等科・高等科)の食堂にて、生徒さんたちの昼食会に招待していただきました。女子部では、創立以来、毎日の昼食を学年交代で生徒が作ることを続けてきており、調理技術にとどまらず、食事の前には材料の詳細や1食あたりにかかった経費の発表などもあり、食の営みに関する技術や教養、食の循環を総合的に学ぶ場となっていることに驚きました。学園内の図書館では、書籍『霜柱の研究』の初版本や、当時指導にあたった三石巌先生に関する資料など、貴重なアーカイブを見せてもらいながら、戦時中の時代背景や霜柱の研究にあたった女学生たちの後日談も聞くことができました。
自由学園と中谷宇吉郎との間には今も語り継がれるエピソードがあります。1934年に、自由学園の女学生たちが自然科学グループをつくり、自然豊かな校内を舞台に「霜柱はどうして立つか」という素朴な疑問から研究を始め、その成果を『霜柱の研究』としてまとめ刊行しました。これを読んだ宇吉郎が、随筆「〈霜柱の研究〉について」の中で、「私がはっという気がしたのは、その素人の研究が、純粋な興味と直観的な推理とで如何いかにも造作ないという風に一歩一歩と先へ進んで行っていることであった。」と称賛しています。また、羽仁もと子・吉一夫妻の孫にあたる羽仁進氏(中谷宇吉郎記念財団理事)は、宇吉郎とともに岩波映画製作所の設立に加わり、岩波映画の最初の監督として活躍しました。
*訪問後に行われた以下の対談で、岡﨑ディレクターが、自由学園で教鞭をとった自然科学者、吉良幸世(1927-1997)先生の『ブラック論』について言及しています。
自然哲学としての芸術原理 1https://kagakuukan.org/jpn/texts/physica_01
自然哲学としての芸術原理 2https://kagakuukan.org/jpn/texts/physica_02