かがく宇かん、とは中谷宇吉郎博士が作り上げ、中谷芙二子さんが展開した世界的知のネットワークを、21世紀以降の知的精神を育てるプログラムとして、そのプログラムの拠点(ラボラトリー)をこの加賀市に形成しようというプロジェクトです。キーワードは環境としての知性です。
21世紀以降の知的精神といいましたが、たとえば現在、盛んに議論されているシンギュラリティ問題というものがあります。近い将来、2045年に人工知能が人間の能力を凌ぎ、いままでの人間の代わりに、人工知能自身が人工知能を含んだ技術を改良し、また改良をつづけていく、加速度的に進化していく。
その結果、人間のしてきた多くの仕事がなくなる、といわれています。当然の如く、いままで人間がしてきた勉強、教育のあり方も大きくかわるでしょう。役にたつ技術や知識というものの意味、身につけるということの意味が変わってしまいます。人が考えること、学問することの意味が変わってくる。けれどシンギュラリティが起こっても、変わらないのは、それでも人間は必要とされ残るだろう、ということです。
従来の学習、教育は少しでも完全な人間になることをモデルにしてきました。が、シンギュラリティ問題を考えると、はっきりしてくるのは、人間は不完全である、失敗する、欠陥がある、怪我もするし病気もする、つまり弱いということです。
かつて学習や訓練は、その弱さを克服すること、排除することを目的として考えられてきました。が、近い将来訪れる、より完全なる技術、テクノロジーからすれば、その弱さはむしろ欠陥ではありません。それは決して一元化できない個性であり豊かさなのです。その一元化できない弱さ、つまり個性こそが創造性の源であり、文化を豊かにしてきた源泉だと認識されるはずだからです。
なぜなら完全をめざすテクノロジーにとって、それは決して予測できず、コントロールできないものであるからです。けれど、人間が関わるならば、其れは必ずシステムのどこかに発生してしまうもの、として捉えられるでしょう。
そして、この予測できない不完全さこそ、リジットに完結してしまいがちなシステムをたえず発展させてきた非完結性、歴史を可能にする大いなる誤差、尊重すべき弱さ、として把握されるだろうからです。
人間の弱さとは、システムとして完結しないことにあります。決して一つに固まらないということです。それは一つのシステムではなく、複数のシステムの整理されきれていない、いわば寄り合い所帯であり、互いに影響されやすい、そして気まぐれに、主になるシステムが(気がかわるように)変わってしまう、システムたちの複合体です。
こうした不安定さ、弱さをもつのが人間だとすれば、人間とは、一人の個性に見えて決して一人ではない、いつも身の回りさまざまなものに好奇心をもち、あるいは知らずに影響を受け、いいかえればつねに環境を気遣い、反省しては、考え直し、やり直そうと変貌しつづけることのできる能力だったともいえるでしょう。
知らずに影響を受ける、というのは自分でも気づかない情報を受け取っているということです。人間は五感を持つといいますが、実際は自分でも自覚できない、もっと無数の未知の感覚をもっているということです。
機械である人工知能には、このいまだ未知の感覚はセンサーとして実装することができないのです。
このような人間にとって、学ぶとは、完全を目指すことではなく、むしろ、その不完全さが作り出す開放性を積極的に受け入れ、現在の自分のあり方=システムとは相容れない別のシステム、あたらしいものを受け入れ、それに共感していく能力でした。つまり学ぶとは変貌の可能性、自己の可塑性を手にいれることでした。
専門領域に分化した学問はその完全さ、かたくなで厳密な形式性によって、むしろ容易に機械にとって変わることができるものです。こうした融通の効かない機械(システム)と機械(システム)をなおも結びつけることができるとすれば、それは、そのそれぞれのシステムにとって弱さ、柔軟さを持つ必要があります。未完結に開かれた、つまりシステムとしての未完結さ、欠如がなければならない。この開かれた欠如こそ柔らかさとなって、複数の機械、複数のシステムを包み込みながら繋げ、変化生成しつづける、生きた環境を可能にする能力となっているのです。人間の精神の特徴であるとみなされてきた、反省し、考える力はこの生きた(考える)環境がもつ、柔らかさにこそあったのです。影響を与え、反省を可能にするのはこの生成変化する環境そのものだったのです。あたらしい学問は、この無数の弱さを結びつける、開かれた環境自身に向かい、そこで考えようと試みます。考える力は、一人の私ではなく、環境こそが持っているからです。
グリーンランドのような極限の環境に学び、雪の形態の不完全さから、自然の開かれた情報のネットワークを読み取った中谷宇吉郎博士の思想こそは、こうした、あたらしい学問の方向を指し示してくれています。その重要な教えを3つのキーワードにしました。
コンセプト1
科学の心。
自然の姿、現象に素直に驚くことのできる感性。そして自然のさまざまな現象にいまだわれわれには知りえなかった、自然の《理》が示されていると考える。
その理によって考えようとするのが、科学の心である。
自分の心(自分の世界観、理論=先入観)にあわせて、世界を理解、説明しようとするのではなく、それをいったん脇におき、自然自身のもつ《理》に沿って、世界を理解する。それが科学の心によって考えるということである。
コンセプト2
環境は知性である。
自然は情報である。それ自身が知性である。宇吉郎は、雪を“天から送られた手紙”として読み解いた。変化する自然のすべての現れ、には、自然が行っている、さまざまな情報のやり取り、ネットワークが示されている。自然は呼応しあう大きな知性、精神とも捉えることができる。
コンセプト3
学ぶ力を 学ぶ。
テクノロジーの爆発的な発展に伴う、予測不可能な現代に対応し、生き抜いていくための“精神あるいは知能の柔軟性”を育む。表面的な知識は学んでもたえず変化し更新され、すぐに役にたたなくなる。
新たに変化し更新されていく技術、知識に柔軟に受け入れ、身につけていく力、あたらしい技術、知識を学ぶ能力を学ぶ。見につける。学びつづける柔軟性〜学ぶ力を学ぶ。不完全さは、新たに学ぶ=変化の源泉である。