日本語のあらすじ
2019年1月に3週間にわたって旅したインドで見聞した、17世紀の天才マハラジャがつくった巨大天体観測装置や、1000年間に渡って掘り続けられた仏教やヒンズー教の石窟寺院遺跡、大乗・小乗仏教の成立プロセスと仏教美術の様式変遷との関係、パーリ経典のパフォーマンス指示書としての機能、死をヴァーチャル化する(がゆえに大勢の人が日々そこへ死ぬためにやってくる)聖都バラナシの特異な都市設計、そしてインド人観光客に映画俳優だと間違われて撮ったセルフィーなどをすべて、異なるスケールのリアリティ(時空間)を媒介・生成する「乗り物」の類として考察する旅行記もどき。最後に、バラナシの川辺で12歳くらいの女の子にこの乗り物論を得意げに話したところ、思いもよらなかった返事が返ってきたというエピソードを挟んで、発表の場(戻るべき自国としての「家」=自然化した乗り物)を前提とした観光哲学(土産話としての理論)を、「外国語」をじっさいに学んだり読んだりすることの面倒と比較することで(自己)批判しつつ、それがある種の寓話としてかがく宇かんにおける「アート」と「サイエンス」の関係にどういう示唆を与えるかについてすこし触れる。
→ “On the Many Vehicles of India”