日時:2019年8月21日(水)
会場:黒崎海水浴場 浜茶屋入のや
第1部 午後4時過ぎて
はじめに ぱくきょんみ(司会)
1.ぱくきょんみ
「手」 山村暮鳥
2.堂下亜也
「朝のリレー」 谷川俊太郎
3.吳皓哲(Wu Hao Je)
「南樓望」 盧僎
4.金正揚(Jin Jheng Yang)
「煮豆持作羹」 (原題「七歩詩」) 曹植
5.鮒池涼香
「コップ」 まどみちお
6.米山立子
「自分の感受性くらい」 茨木のり子
7.木原進
「塩の道」 伊藤信吉
8.明貫紘子
「ハングゲ」 ぱくきょんみ
9.森田菜絵
「どちらが本当か」 武者小路実篤
10.河野翔太
「It’s Your World」 ギル・スコット・ヘロン
11.ゆきなかみうる
「生きる」 谷川俊太郎
12.寺田いづみ
「黄昏」 立原道造
第2部 午後6時過ぎて
13.堂下愼一郎
「儀式」 石垣りん
14.新佳織
「あさきよめ」 室生犀星
15.大栩直也
「夏の本」 石垣りん
16.河野梨沙
「おなら」 おーなり由子
17.内木洋一
「虹」 高橋順子
18.中村彩香
「(存在)」 茨木のり子
19.河野基史
「ツトム君」 福本畷夫
20.阿部乃里子
「手」 石垣りん
21.沼田達佳
藤原新也写真集『メメントモリ』の一節 藤原新也
22.梶谷清裕
「ワカンナイ」 井上陽水
23.鮒池成子
「こだまでしょうか」 金子みすゞ
第3部 夜も更けて
24.木村悟之
「名前の歌」 町田町蔵
25.河野翔太
「革命はテレビ中継されない」 ギル・スコット・ヘロン
26.堂下亜也
「さよならだけが人生だ(勧酒)」 井伏鱒二
27.ぱくきょんみ
「すうぷ」 自作
そもそも、黒崎海水浴場で詩の朗読会をひらくことになった経緯は、2019年1月に開催された「かがく宇かん 公開研究会」で、山ん中たまご園の堂下夫妻が研究員に提供した鶏鍋が発端です。その鶏鍋のお礼に、ぱくきょんみさんが自身の詩集「すうぷ」を贈り、ささやかな交流が始まりました。ぱくさんは、絵本も出版しているので、加賀市の子育て世代間で絵本や詩集が話題になるようになりました。また、公開研究会のバックヤードでは、堂下夫妻が夏にオープンする浜茶屋「入のや」のこと、そこでは、堂下慎一郎さんが採ってきた岩牡蠣やアワビ、サザエが食べられることも話題になりました。
「海締め」というのは、堂下さんが考えた造語で、漁期が終わる8月20日に合わせて、海の恵みへ感謝しながら海の幸をいただく会のことです。そして、朗読会を企画している段階で、海締めと朗読会を同時開催することを提案してくださいました。
このような、かがく宇かん研究員と加賀市民のささやかなつながりや思いが積み上げられて、今回の朗読会「海締めと、詩と、朗読と」が実現しました。
朗読会をひらくにあたり、自作以外の詩を一編持ち寄る、というルール以外に最終的にはテーマなどは何も設定しないことになりました。その代わりに、監修と司会を務めたぱくさんが、チラシに掲載するための呼びかけの言葉を準備しました。
いつも海は、向こうからやってくる
いつも海は、ここと向こうをつなげている
押し寄せてくるものに
波の泡となる、ひとのことば
詩は わたしのことばではない
詩は あなたのことばではない
すこしだけ
海に戻したい
ことばが
まだ あるかもしれない
結果的に、この言葉と黒崎海岸という圧倒的なロケーション、そして海の幸に惹きつけられて集まった詩は、まさに「いまの社会で生きているわたしたちが立ち止まれるような詩」(ぱく)であったように思います。
基本的には朗読者が希望する詩を持ち寄る形でしたが、決めかねている参加者には、他の人が読む予定の詩を伝えたり、ぱくさんからの「たとえば」リストを共有したりもしました。このようにメールやSNSなどを通して、朗読者のあいだにゆるやかな「回路」が作られていきました。
「たとえば」リストで提案された詩
吉原幸子「海」
吉原幸子「北へ」
茨木のり子「一人のひと」
茨木のり子「手」
茨木のり子「(存在)」
茨木のり子「歳月」
宮静枝「白い風」
宮静枝「わたしはここにいる」
宮静枝「さっちゃんは戦争を知らない」
宮静枝「ふり向けば」
室生犀星「あさきよめ」
準備段階で交わされた関係者や朗読者とのメールや会話には、詩的な言葉、現代社会に対する憂いや洞察がおのずとあふれてきました。ここで全てを披露することはできませんが、筆者にとって詩の力を見せつけられた最初のプロセスでもありました。詩の朗読をきっかけにして、参加者同士の対話や発言へ繋がっていくようでもありました。
ちょうど、あいちトリエンナーレの表現の自由問題や日韓貿易問題など、対話不足や対話拒否、自粛が原因と考えられる問題が立て続けに起き、人々が共存するための言葉について考察する機会にもなりました。共感できない、わかり合うことが困難である局面でこそ、言葉、そして詩の出番なのかもしれません。
ことばの海の中で、アップアップしているのが、人間。
本物の海で、洗わなくてはならない、です。
(ぱくさんのメールから)
目の前に広がる大海原と水平線は、地球が丸く水で繋がっていることを教えてくれました。エアコンがなく天気の移り変わりをじかに感じられる浜茶屋では、我々が環境の一部であることをごくごく自然に気づかせてくれました。そして、当然ながら、朗読会では重層的なメタファーを持つ「海」がキーワードとなって立ち現れました。まず、ぱくさんによる山村暮鳥「手」から朗読会が始まりました。ぱくさんは山村暮鳥の詩を「かがく宇かん 公開研究会」でも紹介しており、研究会と朗読会の間を橋渡しました。
堂下亜也さんによる谷川俊太郎「朝のリレー」では、グーグルアースで地球をグーンと俯瞰するように、我々の視点を一気に広げてくれました。
続いて、入のやにインターンとして滞在していた台湾から来た二人の青年が漢詩を読みました。吳皓哲さんは、故郷を思う気持ちを表現した盧僎「南樓望」を、金正揚さんは、兄弟が争わなくてはいけないことを嘆いた曹植「煮豆持作羹」 を朗読しました。遣隋使や遣唐使が文化を運んだ時代を想起させました。
鮒池涼香さんは、海を見ていた小さい頃を思い出しながら読みたい詩として、コップがまるで地球のようなスケールで描かれた、まどみちお「コップ」を選びました。
米山立子さんは、学生時代から好きで、ずっと家の壁に飾ってあった木版に書かれた茨木のり子の詩「自分の感受性くらい」を海に向かって朗読しました。
木原進さんは、第2次大戦をまたいで活躍した伊藤信吉の「塩の道」を読みました。現世を憂いるかのように、しばしば、情けない・恥ずかしい・けちな、といった意味で使われる「しょっぺえ」を連呼しました。
筆者(明貫紘子)は、韓国・ロシア・日本の間に横たわる海について思いながら、ぱくきょんみ「ハングゲ」を朗読しました。
森田菜絵さんは、人間を超越している自然に向かって「私は知らないよ。」と問いかけをあきらめる武者小路実篤「どちらが本当か」を朗読しました。めまぐるしく変化する天気に翻弄された朗読会にぴったりな詩でもありました。
見るからにコチコチに緊張していた河野翔太さんは、ユーモアたっぷりに力強く、ギル・スコットヘロンの曲「It’s Your World」の和訳を読み上げました。
ゆきなかみうるさんは、谷川俊太郎「生きる」を暗唱しました。
第1部の最後には、寺田いづみさんが、一日一日の大切さを綴った立原道造「黄昏」を、太陽が沈みかけの時間帯に朗読しました。
休憩を挟んだ第2部は、堂下愼一郎さんが、自身が飼育している鶏を〆るときに朗読しているという、石垣りん「儀式」から始まりました。
新佳織さんは、石川県出身の作家である室生犀星の「あさきよめ」を海に向かって読みました。控えめに綴られているものの生き抜くことをテーマにした詩は、彼女にとってタイムリーな詩であったそうです。
今回の朗読会で人気があった石垣りんの作品から、時の記憶と本をオーバーラップさせた「夏の本」を大栩直也さんが読みました。
河野梨沙さんは、子どもが生まれて自分とシンクロしている言葉を見つけたという、おーなり由子「おなら」を生後数ヶ月の乳児と一緒に読みました。
内木洋一さんは、ぱくさんの呼びかけの言葉に引きつけられ、「海に戻したいい言葉」として高橋順子「虹」を選びました。
中村彩香さんは、茨木のり子の作品から「(存在)」を選びました。海を目の前にこの詩が読まれると、生きものが生きて、消えていく、ことが説得力を持って伝わってきました。
河野基史さんは、加賀市の詩人である福本畷夫さんの作品「ツトム君」を読みました。ノンフィクションで悲しい物語が、海と共存するための我々の態度を正してくれるようでした。
阿部乃里子さんは、石垣りん「手」を読みました。この朗読会では、食べ物も重要な要素でしたが、食物を育て、いただくことの営みに丁寧に向き合いました。
沼田達佳さんは、藤原新也写真集から「死を思え」と意味する『メメントモリ』の一節をとりあげました。死や生について語ることが自然な朗読会でもありました。
梶谷清裕さんは、歌手の井上陽水の歌詞「ワカンナイ」を朗読しました。これは宮沢賢治の詩「雨ニモ負ケズ」の派生作品でもあり、高度経済成長の絶頂期に多様性と新しい自然と共存することを語っているようでした。
朗読会第2部の最後を締めくくったのは鮒池成子さんで、「人と人との関係や根元にはいろいろありますが、、、」と前置きして、金子みすゞ「こだまでしょうか」を海に向かって読みました。
夜が更けていくと、海の家に置かれたスタンドマイクはフリーマイクになり、自由に詩を読んだり、歌ったり、叫んだりしました。観客のリクエストに答えて、ぱくさんが自作「すうぷ」を朗読する場面もありました。ギル・スコット・ヘロン「革命はテレビ中継されない」は、時代を超えて社会・政治的な抵抗運動に詩や音楽が力を持ったことを想起させました。
近年、SNSや報道媒体などは写真や映像で目を惹きつけ、人々は電話よりもメールやショート・メッセンジャーなどでやりとりすることが多くなりました。今回の朗読会では、若い人たちの参加が多かったことが印象的でしたが、もしかしたら、オーラル・コミュニケーションへの揺り戻しが来ているのかもしれません。
この朗読会で読まれる詩として最初に挙がったのは、石垣りん「儀式」でした。これを受けて、ぱくさんは石垣りんと交友のあった吉原幸子の詩「海」と彼女の個人的な思い出を共有しました。
吉原幸子
「海」
世界を 手もとまで もってくる
のではなく
世界に まぎれこむ ことは
できないでせうか
薄明りのなかで かへって
まぶたを 疲れさせ
きつく閉ぢさせる この
光の微粒子 のやうに
たとへば海
にしのびこみ まぎれこみ
たくさんの船を呑んでは
そのあとの 波のやうに
そしらぬ風に どこかの浜辺で
うすべにいろの貝がらを
三センチづつ ゆすってゐたい──
(第三詩集『オンディーヌ』(思潮社1972年)所収)
石垣さんは高等小学校卒業して銀行勤めをしながら家族を養い、詩を書き続けました。
吉原さんは恵まれた環境の中で育ち東京大学仏文科に進み、学生時代から演劇研究会に入り、舞台に立ち、そして劇団四季の公演にも出たほど演劇への情熱を持ち続けた人でもありました。
一見、まったく違う人生のベクトルのなかにいたお二人の心情に通いあうところがあったことを、吉原さんが自宅で開いていた詩の朗読会でのおしゃべりで知りました。[…]わたしにとっての共通点は、お二人ともに強く響く声の持ち主であること、それが忘れられません。
また、吉原幸子は新川和江とともに、「すべての生きもののふるさと」として女性名詞のフランス語の「la mer(海)」を誌名にした、「現代詩ラ・メール」という女性の詩人やアーティストだけ扱う雑誌を1983年に創刊しました。
「すべての生きもののふるさと」であるはずの海は、現在、人々の独善的な欲望のために環境的にも政治的にも危機的な状況です。今回の朗読会で、私たちは、時に、波や雨、風の音で声がかき消されそうになりながら黒崎海岸で詩を朗読しました。そして、声高に訴えづらいことを発言し、聞き、語り合うこともできました。また、ぱくさん自身がそれこそ「海」のような存在で、持ち寄られた詩と朗読者を丸ごと受け入れ、媒介しながら場を形作っているようでした。
レポート:明貫紘子(映像ワークショップ)
写真:Yoichi Naiki / Takigaharafarm
(*1, 5, 8〜19, 21〜24)