7月20日の記者発表後、金沢美術工芸大学の高橋明彦先生と、岡﨑ディレクターのトークセッションが行われました。
記念トークセッション
テーマ「創造あるいは知性という特異点(シンギュラリティ) について
岡﨑 乾二郎(一般財団法人中谷宇吉郎記念財団理事、武蔵野美術大学客員教授)
高橋 明彦(金沢美術工芸大学教授)
会場は、中心をもたないラウンドテーブル方式に設定し、熱心に集まってくれた20名をこえる学生たちと輪になって、参加された研究員の中井悠氏(音楽学)を交え熱心な討議が行われました。
・シンギュラリティ
・AI
・人間 科学 芸術
「あたらしい学問」をここで立ち上げる
・“古い学問“のなかには、芸術も科学も含まれている
・これらの学問は、これまでのやり方では、問題解決能力が落ちる
シンギュラリティでどういうことが起こるか?
・人間が今までやっていた教育(訓練、勉強・・不完全なところの克服)も必要なくなる?
完全・不完全
弱さ・強さ
弱点だったものがプラスにひっくり返る可能性
現に今の世の中で始まっている
なぜ人間は不完全なのか?
・人間というのを一つのシステムと想定し、自分自身をコントロールする能力を重要視していたが、実際は、人間は一つのシステムではなかった
・人間は複数のシステムが同時に動いているから、間違いやすい、集中力がない
一つのシステムに完結せず、他のシステムに対する共感性を持っている
ex.「乙女心と秋の空」、気分と気候が結びついている
19世紀の科学
・近代科学=見えない力、運動、対象化できない/知覚化できないものをいかに捉えるか?→自然科学と芸術の共通のテーマ 五感以外の感覚 情報系
・当時の自然科学者はアマチュアのみ。役に立たないことを研究
・女性の科学者が多かった
ルーク・ハワード(雲の分類)
・かつてのモデル=人間は主体的なもの。意識をもった、自然を観察するもの
→むしろ人間自身が環境そのもののような複数性を持っている?
芸術と科学でどういうことやるのか?
・世界が変わる、新しいものが出てくるとはどういうことか、変化はなぜおこるのか→科学の問題でもあり、創造性とは何かという意味では芸術でもある
・18、19世紀、科学が科学としてまだ領域確定していなかったころの世界に対する研究の仕方に戻る、着想を求める
・ポストダンス
・マイクロバイオーム(microbiome)
・人間は五感だけではないということが、科学のほうでも、かなり精密に研究できるようになってきている
・1人の人間は1人の人間ではない。外部環境と内部環境は実は同じくらいの複雑さを持っている
シンギュラリティの時代における芸術とは何か?
・レンブラントの新作をAIで描く
The NEXT REMBRANDT
→レンブラントにそっくりだ、という人の「判断基準」に欠陥がある
・人間による会話性(フィードバック)なしに、コンピューターだけで判断基準をずらしていくことができるか?
・釣り合わなさ、不完全性、不確定性、未来に対する偶発性がこれからの創造性?
・ニューラルネットワーク、あいまいな認識を可能にしたシステム(コネクショニズム、並列分散処理 PDPとも)。一つの身体において、相反する二つの表現を可能にするシステム(真偽、善悪、美醜が一つの身体から発現する)
・ニューラルネットワークが複層化してディープラーニングになる。自己増殖的コンピューター
・ディープラーニングを重ねていくと、さらに良い意見に到達するのか?そうではなくて、最終的に戦争に突入するのか(戦争は資本主義が生き残るための必要悪だとすれば、AIは躊躇しつつも、その道を選ぶのではないか)
・デヴィット・チュードア
→1990年代初頭の作品で、ニューラルネットワークを用いてシンセサイザーを使ったが、アナログ(機械)の部分は、ニューラルネットワークの機能に回収できない
2016年とAI
・アルファ碁とポケモンGO
AIに人間がやらせてきたことはみなゲーム 閉じた中でのルール、競い合い
そこで訓練したAIが何をするか? 戦争ではなく、人間にゲームをやらせて動かす?
人間の主体性とは
・「一人のなかの妖怪たち」
岡﨑乾二郎による水木しげる論(2005年)
→一人はそもそも「複数性」に開かれている。水木しげるの妖怪漫画はそういうところを問題にしている
・楳図かずお 『14歳』
→人間中心ではない生命観。人間だけが意識をもった特殊な存在ではなく、
すべての生命の連続性の中に、一部分、人間があるにすぎない。『14歳』はこのことをただ延々述べている。
人間の特権性を捨てる。植物や昆虫。単なる機械や道具なども意識をもつかもしれない?
変わりつつある科学と芸術のあり方
19世紀 アマチュアの学問だった自然科学が、20世紀、プロの学問になった。
そして本来は連続した生命の中にあったものから人間(知的なものの意識の活動)だけを特権化した。
世界を数字化して、数字で表しうるものだとしてきたのが20世紀の科学だとすると、
それが限界にきているのではないか。
・則天去私—晩年の夏目漱石の造語
夏目漱石、寺田寅彦、中谷宇吉郎、ヘルムホルツ、ポアンカレ、統計力学、確率論・・
世界の結末が完全には予測できない、確率的にしか予測できない
「私を捨て、天に任せる・・」
天というのは偶然的なもの、だから天に任せる。未来は偶然的なものだという解釈
・ジェーン・オースティン『偏見とプライド』(Pride and Prejudice)
「影響」の理論?
・影響の語源=[influx]=15世紀頃、星の光がきて、星のエッセンスがその光につまっていて、それが石ころに吸収されて、それで描いた絵にも含まれていて、それを見ている自分にも流れ込んでくる・・ > [influence]へ
・under the influence=アルコール(薬物)を摂取している状態
・インフルエンザ、菌、アレルギー・・中世の影響論みたいなものはあるが、体系化した理論はない。最近の科学の展開も含めて考えてはどうか?
機械と人間、経済
機械と人間という分け方から離れてきた
予測できないことをするのが人間であり、人間は一つの系ではなかった
機械のほうが安定しており、人間のほうが環境化してしまう
それによって、機械もだんたん複雑で、ディープラーディングで、入れ子になっていて、内部も外部もなく、複数の世界が同時にある状況
そうなったときに、われわれの主体は支離滅裂になっているかもしれない
しばしば気分がかわるとしても、欲望はあるだろう
・アニマルスピリット(ケインズ)
たとえ経済をすべてゲーム的に考えたとしても、そこになおかつ最後にアニマルスピリッツが必要だという考え方
安易にゲームに回収できないものとして、そういう突き動かすものがある?
・経済は、利益を最大限にあげるということをいえれば一つのゲームなり欲望になりうるわけで、コンピューターもシミュレートできるかもしれない。基本的に経済学は、人間は合理的に行動すると言う大前提(18世紀、19世紀的な人間観)。ただ実際はそうではない。
・映画『マイノリティ・レポート』
シンギュラリティは、機械の人間化(つまり、正確なものが不完全なものになること)である。
未来予測をする超能力者が3人いて、2対1で意見がわかれたときにどうするか?未来はそもそも決定されておらず、そのため未来予測はそもそも不完全なのであって、意見は必然的に対立するということを描いている。
(→マイノリティ・リポートのビジネス化〜クリエイティブ・アナリティクス)
「かがく宇かん」がやること
・ここは、役に立つことをやる。
「マイノリティ・リポート」的なビジネスモデルがあるなら、それを壊すようなモデルをここで作る。
芸術作品が、歴史史上はじめて役に立つ?!
・常に自然は神秘であるということ。
知能というのは予知不能な予測不可能性なシステム化できない創発性を持っている。それを環境に実装する。
・自然と人間との区別をするとき、その基準自体をつくるのがいちばん創造的。
・偶発性というものが最後の部分で作品をつくる面白さは、ほとんどコントロールできているようだができていない、“ギフト”のような部分。それが自由を確保するために重要。
・ “役に立つ”というのは“役に立たない”とセットであり、そのあたりを技術と芸術の狭間で追求したい。
・美術家にとってみると、シンギュラリティは怖くない。希望を持っている。
自分は工芸をやっているが、今までの自分が考えていたことから、別の視点で考えてみたら、新しい見方がひらけるという可能性を感じた。僕らが素材に固執して考えることも、それを古い考えとして否定するよりは、捉え方を考え直すことで、素材の神秘性を感じたり、漆に動かされているという感覚というのは本当にあるんじゃないかと思った。それを自覚的にやっていくと、新しい芸術の形がひらけるようで、物質としての素材と関係していくなかで、また面白いことをやっていきたいなと、とても勉強になった。(工芸専攻 博士課程1年/男性)
シンギュラリティの話から、根源的に絶対的な自分自身を主体化できないということ、何かの影響下にあって、無意識下の見えないことがあること、芸術をつくることは、そもそも自分では主体化できないことを、自分を外部化して複数化することで多様な解釈の影響を与えるものとして機能させるということは、影響の話とも結びついて面白く、芸術の可能性を感じた。キュレーターを目指しているので、自分の中でもすごく考えるべきポイントだと思った(芸術学専攻3年/女性)
[文責:事務局]