初出:「グリーンランド」中谷芙二子+宇吉郎展 ブックレット(制作・発行:エルメス財団 / 2018年)
→ Ginza Maison Hermès Le Forum – Fujiko & Ukichiro Nakaya
Photo credit: ©Nacása & Partners Inc. / Courtesy of Fondation d’entreprise Hermès
中谷芙二子の仕事に一貫しているもの。それは「メディウム」への帰依である。ひらたく言いかえよう。芙二子の仕事からはいつも、メディウムのもつ能力=可能性が惜しみなく溢れ出している。それは作家という枠も作品という枠も超え、表現ジャンルという規定をも超出していく。その溢れ出す能力こそ、そもそもメディウムに内在された力である。
よく知られたモダニスム芸術のまちがった定義で前提とされたメディウム[*1]とは異なって、メディウムとは、いかなる形式による規定をも溢出する物質的状態=振る舞いこそをその特質とする。「自由」という概念はこのメディウムの振る舞いによってこそはじめて可能になると考えられなければならない。したがって中谷芙二子の仕事に見出せるメディウムへの帰依とは、表現形式として措定される芸術作品(決定論的な自己撞着=規定されたもの、同じものの反復に陥るしかない)とは本質的に背反する。そこにあるのはいかなる規定からも溢れ出し、超出する力、世界にいまだ「自由」(そしてわれわれに「自由意志」)があることを確信させてくれる、絶対的条件としてのメディウムの振る舞いである[*2]。
たとえば「ある科学者がxを発見した」という文が言われるとき、そこで彼が発見しえたのは何だろうか。その「発見」あるいはその「発見されたx」という存在は、発見した科学者に帰属するだろうか?(つまり科学者がそれを発見したときまで、それは存在しなかっただろうか)? もちろん常識的には、そのように理解されることはない。
が、この「発見」という語が「制作」という語に置き換えられ、「ある芸術家はxを制作した」と言われたならば、もちろん、そのxを作ったのは芸術家だ(つまり、それは芸術家が制作したことによって存在することになった)と無条件で考えられてしまうだろう。[*3]
たとえばアルキメデスが「ユーレカ」と叫んだとき、彼は何を発見したのか。彼は風呂に入り、実際に発見したのは「水が溢れる」という、見慣れていたはずの現象だった。ある容器いっぱいに満たされた水に何かが投げ込まれたときにもいつも起こっていることだ。アルキメデスが実際に知覚したのはこの溢れる水だけだった。それは発見といえるだろうか? 正確にいえばアルキメデスはそのとき水が「溢れる」という出来事を改めて見出した=再発見したのである。(だから「アルキメデスが浮力を発見した」というのは正しくない。水が溢れなければ浮力という概念(存在)を思いつくこともなかっただろう。いや水やアルキメデスという概念すら自覚されなかっただろう。浮力の本質とは空間を占拠する力である。水であれアルキメデスの身体であれ風呂桶であれ、同じく、空間を排他的に占有する権利を有し、その権利において互いに反撥しあっている。水は流体であるから、反撥の力を真っ先に受けて押し除けられやすく、また隙間があれば真っ先に侵入する。溢れているのはこの力である)。
アルキメデスが直接、知覚したのは「水が溢れる」という現象である。その「溢れ」からアルキメデスは間接的に改めて水を発見し、自身の身体を発見し、風呂桶を発見し、それらの大きさ、量を発見した。この例に示されているように、人間の知覚は対象を直接捉えてはいない。反対に人間の感覚器官は対象と距たりをもつこと、対象と間接的にしか関係できないという事実によってしか機能しない。たとえば対象との距離がなければ視覚は機能しない。われわれが捉える色とは対象の表面に当たった光が、その物質に一部吸収され、あるいは分散的に反射し分光することで作り出される揺らぎ(射角のずれ、遅れ)である。つまり対象と視覚の間の距たりゆえにおこる現象─その中間に存在する何ものか(事物の表面、中間に存在する空気の湿度、浮遊物などなど)が引き起こす光の歪曲、乱反射こそを、われわれの目は見ているのである。対象そのものを見ているのではない。耳が音を聞くのも同様である。そもそも耳と音源との間に隔たりがあり、そこに何かがなければ音の波は起こらないだろう。
人間を含んだ生物が知覚しているものは対象そのものではない、対象と感覚器官の間にあって、それを満たしているメディウム、そのメディウムの振る舞い=変化、揺動である。(気をつけなければいけないのは、このメディウムそれ自体が対象として知覚可能だというわけではないということである)。
その変動は、知覚している者と対象の間の安定した関係を揺るがし、同一のもの、不変的なものとして対象にしていた像すなわち概念の変更を迫る。いや、そのときはじめてわれわれはそれが概念であったことを発見し、再定義するのである。そのわれわれに向かって押し寄せる、溢れ出す揺動をセザンヌはサンサシオンと呼び、アルキメデスはそれにおののき「ユーレカ」と叫ばすにはいられなかったのである。
メディウムは一般的には、物質的な連続体として見なされている。が、こうした扱いは仮定にすぎない。われわれの知覚は、その仮定を裏切る、個別の現象、つまりメディウムが引き起こす、むしろ不連続な揺動にだけ反応するのだから。いいかえれば連続体としてのメディウムそれ自体は現れない。その連続としての物質は知覚に対して不活性[*4](活動が死んでいる)な状態としてだけ維持されている。何かが知覚される。あるいは、さまざまな事物と事物の関係が生起するとき、その出来事を媒介しているものがメディウムである。すなわちメディウム自体は直接現れず、その関係するものたちを包み込み、またその隙間に充填されている。
もっと一般的に表現媒体としてメディウムと呼ばれるものについても、同様の性格を指摘することができる。たとえば絵の具の表現的特質は、その原質である顔料や染料よりも、ほとんどが展色剤である媒材(テレピン油やアクリルエマルジョン、アラビアゴムなど)によってこそ決定されている。発色も質感も決定しているのはこうした媒材つまりメディウムである。知覚はメディウムが生み出す差異にこそ反応する。なぜならばそれは透過し反射する光そのものの偏光に関与しているからである。われわれが見ることができるのはこの対象を包み、隔てるメディウムを通した屈曲、分散された光でしかない。が、一方でこのメディウムそれ自体も決して対象として直接は知覚されえない。それはあくまでも媒体として、対象と知覚器官の間にあり(それを隔て)、人の知覚に働きかけ、知覚がようやく反応、作動しうる振動、偏差を生起させる潜在的な起動因に留まるからである。
重要なのはこのメディウムの性質こそ空間という概念を可能にし、時間という概念を可能にしているということにある。時間の源とは遅れであり、空間の源とは距たりである。メディウムの震え、揺らぎがそれを生起させ、その源として措定されるが不活性(知覚されえない)なメディウムの存在がその連続性、拡張性を保証している。繰り返すならばメディウムは、確かに形式(形式とは連続量としての不活性な媒体を拾い上げる粗雑な枠組みにすぎない)を可能にするが、同時にそれを破壊し、超出する運動でもある。数学を含めて、いかなる形式もその演繹的適用は、その当の形式にとっても不用意な破綻、裂け目をメディウムに刻み込むことを意味し、その裂け目は跳ね返り、その形式の不完全性を露呈させる不可逆的な傷(それが時間の根拠だ)を当の形式にもちかえらせる結果にいきつく。
この小文での主題は、中谷芙二子の展開してきた仕事の特質を再考することにある。初期の絵画作品、中谷の仕事を代表するとみなされる《霧》、ビデオアート、「ビデオひろば」から、「SCAN」の活動に受け継がれて展開してきたインディペンデントな実験ビデオとしての活動。(実は芙二子の仕事を考察するには、以上のようなとりあえずは芸術活動として見なされうる活動だけでは充分ではない)。[*5]
こうしたその活動の中で(「料理」を除いて)、中谷芙二子の仕事でもっとも継続的に広範な浸透性をもって展開してきたのはビデオアートだということはできるだろう。が、この活動も簡単に個別の芸術作品すなわち中谷芙二子という個人の作家の表現には決して還元されうるものではなかった。
中谷芙二子が主要メンバーとして関わった「ビデオひろば」の集団的活動は1972年からはじまり、芙二子が1980年に開設したビデオギャラリー「SCAN」へ展開する。「SCAN」は集団的、個人的(ときにアノニマスな)を問わず、ビデオアートの制作機材の援助から上映そしてアーカイブ化まで、制作から流通までの支援を行なった、日本におけるビデオアート・ムーブメントの拠点だった。いやビデオアートに留まらず「SCAN」はオルタナティブなネットワークのハブとして80年代の芸術活動のもっとも重要な推進力の一つとして機能していた。そもそも、芙二子の仕事の核心につねに存在したのは、こうした個人の作家、個々の作品という枠に還元できない開放性そして協働性だった。《霧の彫刻》(Fog Sculpture、以下《霧》と表記)の仕事の発生の契機はE.A.T.との協働によったし、また《霧》の展開過程においても、いつもディヴィッド・チュードア、トリシャ・ブラウンをはじめとする複数のアーティストたちとの協働があった。だから、もし中谷芙二子の《霧》にいまだよく解き明かされていない理解しがたさ──それこそが《霧》の可能性だが──があるとすれば、その可能性は一見すると《霧》とまったく共通性が見てとりにくい、芙二子が見出したビデオというメディウムの魅力がいかなるものだったのか、を再考することで明らかになるだろう。
60年代末に一般市民でも購入可能なポータブルVTR(ビデオ・レコーダー)が現れたとき、ビデオの最大の魅力は(フィルムと異なって)いくら長く撮り続けてもコストがかからないことにあった。が、映像メディウムとしてみれば、その画像は恐ろしく低解像度であった。
たとえばマーシャル・マクルーハンが指摘したように、テレビは視覚メディアとはいえない。視覚メディアとして扱うにはあまりにスカスカ、つまりクールだったのである。テレビの「凝視するに耐えない」という性質は当時現れたポータブル・ビデオではさらに強化(つまり劣化)されている。テレビジョンは480本の平行する走査線で水平線状にスライスされた画像を次々と画面を描出し続けている構造なので原理的にはそもそも一つの瞬間として固定される1枚の画面としての静止画が存在しない。さらにテレビの画面は、電子ビームが走査線上に並んだモザイク状の画素を通過するとき、一つ一つを次々に発光させる構造であるから、一つの光源から一元的に投影された映画とは異なり、物質的に無数に分光する肌理=テクスチャーを持つ。こうして映像というにははるかに物質的なテレビは、一般家庭の部屋の中に周囲の家具と同様に、まさに一つの事物として設置されることになったのである。
ビデオの機構はこうしたテレビの非視覚性(それは自立した事物としてどこにでも配置、散蒔くことができる)をさらに展開させる。テレビは放送局から発信される放送電波網にのって一元的に配信される他なかった。つまりある一つの番組を見るためには、すべての視聴者は番組表に指定されたその同じ時間に見るしかない。テレビ放映はこうしてすべての視聴者に同じ時間の流れを共有し同期することを迫る。もちろん時間の共有だけではない。視聴者はテレビで放映される選択されたコンテンツだけが一般性を持つものとして受け取らされるのである。
ポータブルVTRはまずこの中央集権されたテレビ放送に対して、好きな時間に好きな場所で情報を受け取る可能性を市民に取り戻させ、さらにテレビの番組表に区切られた時間に収められることのない映像を撮影し、主体的に発信(テレビの放映網を通すことなく)する(手渡し、あるいは自分たちで繋いだケーブルを使って)流通させる可能性を開いた。端的に、一元的な時間や空間に組み込まれ管理されることのない個別、ローカルな無数のコミュニケーションの時間と空間を作り出す可能性が開かれたのである。
ところで映画においてもテレビにおいても、その表現形式はそれがいかに伝播、流通され、上演、視聴されるかという流通形式による制約にこそ基づいていた。30分で終わらなければならないとか、1時間半で完結しなければならないとかいうのは流通上の制約に過ぎなかったのである。[*6]
したがってポータブルVTRは、それを手に入れた芸術家たちに、まずは映画やテレビ、芸術作品という表象形式を拘束していた社会的制度を明晰(批判的)に自覚させ、さらにオルタナティブな道具としてビデオの可能性を積極的に展開させることになった。それは究極的には、同じく実際は制度によって固定されていた「時間」や「空間」、「主体」や「対象」といった概念の自明性を解体し、それらを自律的に再構築する力を手に入れることをも意味していた。
中谷芙二子は日本において、ビデオのメディウムとしての可能性がどこにあるかをもっともはっきり自覚することのできた一人である。1974年に芙二子は当時オルタナティブ・ビデオムーブメントのバイブルとみなされていたマイケル・シャンバーグ、レインダンス・コーポレーションによる『ゲリラ・テレビジョン』を翻訳し出版している。「ビデオひろば」から「SCAN」への展開はオルタナティブなネットワークをビデオを通して多種多様に生成させる社会的実践だったともいえよう。が、『ゲリラ・テレビジョン』の訳者あとがきで芙二子がポール・ライアンの言葉である「ビデオは時間の形態学的鏡である」を引いて述べるように、ビデオの可能性は、外的に強制されていた時間、空間を自己再帰的構造としてメディウムそれ自体に内在化し、やがて時間、空間のネットワークを自律的に生成させうる可能性にこそあった。それは新しい差異=隔たり、距離を生み出し、それを別の方法で編み上げていく、まったく固有な空間と時間、社会関係(人間関係)を生成させるメディウムとして理解されていたのだ。
芙二子自身のビデオ作品、たとえば《卵の静力学》(Statics of an Egg、1973年)においても、いかにビデオが固有の時間を生成し内在化させるか、がはっきり示されている。
《卵の静力学》の画面が捉えているのは、生卵を机の上に垂直に2つが同時に立つまでの動作であり、映し出されているのは机とこの行為を遂行する者の肘から先の手と卵だけである。いわゆるコロンブスの卵だが、戦後まもない1947年頃、立春の日の2月4日にこれを試みると(コロンブスのように底をつぶすことなく)卵を立たせることができるという情報が中国の古書から発見される。これを元に世界各所で実験が行なわれ成功したというニュースにより、たちまち立春の日に卵を立てることは世界中でブームになった。芙二子の父親である物理学者、中谷宇吉郎はこの現象に興味をもち、当時「立春の卵」というエッセイを書いている。宇吉郎は、微細に見れば卵の表面も平滑ではなく小さな凹凸が存在するので、卵の底辺から同一平面を形成する小さな凸部3点を探し、その小さな平面に卵の重心から垂直に下ろした垂線が収まるように根気強くやれば、卵は立春でなくてもいつでも誰でも立てることができると結論づけている。科学者らしい明晰な結論ともいえるが、読者はいささか拍子抜けもしてしまう。宇吉郎がいうとおり、卵が立つのは理に適っているとしても、ではなぜそれまでは立たなかった卵が、この年の「立春」に世界中で同時多発的に立ったのか。宇吉郎はこの問いに答えていないからだ。芙二子の《卵の静力学》は父親のこのエッセイに明らかに触発されているが、父に逆らって、その問いかけは、まっすぐこの「時間」に向けられている。
もちろん、この年の立春に世界で同時多発的に卵を立てることができたのは、新聞やラジオなどのメディアの発達にもよろう。来たる立春の日に試みれば卵は立つ、という報道が伝播したからだろう。が、芙二子のビデオはこうした社会心理学的な外的理解には屈しない。それは世界各地の時間がメディアの発達によって制度的に同期された、という説明つまり、いままでバラバラに試みられていた実験が単にメディアによって強引に同じ日に世界中で同期させられ行なわれたと説明しているにすぎない。
芙二子がこうした考えに屈していないのは、このビデオ作品の撮影過程を考えてみれば明らかである。ビデオは一切編集されておらず、つまり机の上で行なわれる卵を立てる(実際には卵を2つ平行して立てる)企ては、終始一貫それが成功するまで1回のカットもなしに連続して撮り続けられている。もしそれが2日かかっても2日間そのまま、それを記録しただろう(実際には11分)、このビデオ作品の長さは実際にこの卵が立つまでの時間によって決定されているのである。
いわばこのビデオ作品が提示しているのは「卵が立った時こそが立春である」というテーゼである。[*7]
ヤーコプ・フォン・ユクスキュルがその環世界論で示した、森の中のダニが吸血できる哺乳動物が現れるまで20年近くも絶食したまま待ち続けるという例を思い起こさせる。ダニの吸血行動はただダニが知覚できる、適切な温度、匂い、触感のセット(この3つの感覚の外にダニは感覚を持たず、したがってダニにとって哺乳動物という対象も存在しない)が現れたときにオンになり作動しはじめるだけであり、この内在化された時間の外にそれを測定する普遍的な時間があるわけではない。つまりそれが5分後だろうと18年後だろうとダニにとって差があるわけではない。
芙二子のビデオというメディウムに特性として読み取ったのは、いわばこのダニの時間と同様の内在化された時間である。それがたとえ20年かかろうと(11分で終わろうと)ビデオはそれを待ち続ける。[*8] あるいはゆえに外的な枠組みに強制され制限されることなしに、確実に出来事を内在させることができる。いいかえればダニにとってその出来事だけが存在し均質に流れ続ける時間が存在しないように、たとえ20年間の長さをもったビデオ映像があったとしても、それを凝視しつづける必要はない。出来事が起こる。ビデオはその出来事を内在させるだけであって、均質に連続する時間の長短として、その出来事が視覚的に位置づけられなければならない必要性は極めて脆弱である。
時間の内在化=出来事としてのビデオ。この構造は文字どおり蜘蛛が巣を張る過程を追った《風にのって一本の線を引こう》(1973年)──蜘蛛は餌食が巣にひっかかる瞬間を一途に待つ、このビデオはそのために蜘蛛が巣を張り終えるまでもひたすら映しつづける──にも、モナリザ展に並ぶ観客の姿を追った《モナリザのしっぽ》(1974年)──人々の長い列は(そしてこのビデオ映像も)ただ「モナリザ」という絵画を「一目」見るという一瞬の出来事(それはこのビデオは撮影しない)によってだけ組織されているの──にも共通している。見るために組織されたその長い列=時間は反語的にも、視覚に基づかない。むしろ距たりであり、遮ぎりが生み出す厚み、長さである。ビデオはその遮ぎり、距たりをメディウムとして包含する場となっているのだ。
《総持寺》(1979年)は、禅寺での読経を記録したビデオである。大勢の僧による読経は歌詠(合唱)のように揃えて行なわれることはない。それぞれが自らの呼吸にあわせて読経するので息継ぎされる箇所が異なる。すなわち個々の僧によって経は異なる場所で区切られる。一致して区切られる箇所がないゆえに逆に皆の読経が重なると、決して途切れることのない経(スートラ)のうねりが集合的な濃度=様相として現れる。(同時に彼らの足なみもそれぞれ、各々の読経とはまったく異なるリズムで運ばれる)。読経の時間の刻み=区切りはメディウムとしてのそれぞれの僧の身体に内在化されて決定されているが、それが集合されるとき、それは一つの区切りのない連続体=ボリュームとして現れるのだ。禅において個々の修行僧は雲水と呼ばれるが、中谷芙二子はこの多数の雲水たちのそれぞれ異なる時間の重なりが作り出す運動体に、彼女が「霧」に見出していた魅力と同じ様相を発見する。
水の道は水の所知覚にあらざれども、水よく現行す。水の不知覚にあらざれども、水よく現行するなり。
(『正法眼蔵 山水経』)
すなわち水がどう振る舞うか、それを個々の水自身が知覚していようといまいとに関わらず水は正しく働く。以上の道元[*9]『正法眼蔵山水経』(1240年)の箇所を引きながら、このビデオ制作で得られた認識を、中谷芙二子は以下のように書いている。
雲や霧(底が地面についていれば霧、浮いていれば雲、落ちれば雨)は温度、湿度、風などの気象条件によって現象し、温度が二、三度上昇すればすべて消えてしまう。いや、形を変えるだけで水はもちろん空気中に存続している。仏教的概念ではこの点が重要であるが、今は雲が状態を維持しているランダムな構造を問題にしよう。それは微妙なバランスで成立している。絶えず死に、絶えず生まれているといった方が適切なのかもしれない。
『手法から作法へ:ビデオで見る「禅のかたち」から』(草月128号、1980年、31頁)
雲粒は互いにぶつかり合えば粒子は大きくなり、自分の重さで落下してしまう。まるでデモクラシーの理想モデルのようなこの雲の現象の美学は、そのまま禅的集団の存在モデルとしても通用しそうである。
ここで芙二子が見出したものを、再び『正法眼蔵 山水経』を引きつつ、補足的に考察してみよう。
水之道は上下縦横に通達するなり。しかあるに、仏経のなかに、「火風は上にのぼり、地水は下にくだる」。この上下は、参学するところあり。いはゆる仏道の上下を参学するなり。いはゆる地水のゆくところを下とするなり。下を地水のゆくところとするにあらず。……「下地為江河」。しるべし、水の「下地」するとき、江河をなすなり。江河の精よく賢人となる。いま凡愚庸流のおもはくは、水はかならず江河海川にあるとおもへり。しかにはあらず、水のなかに江海をなせり。しかあれば、江海ならぬところにも水はあり、水の下地するとき、江海の功をなすのみなり。また、水の江海をなしつるところなれば世界あるべからず、仏土あるべからずと学すべからず。一滴のなかにも無量の仏国土現成なり。しかあれば、仏土のなかに水あるにあらず、水裏に仏土あるにあらず。水の所在、すでに三際にかかはれず、法界にかかはれず。しかも、かくのごとくなりといへども、水現成の公案なり。
(『正法眼蔵山水経』)
われわれはつい、水の運動を外部の尺度によって、水はより「下」へ流れる、と考えるがそうではない。実際は水が向かうところが「下」だとわれわれは知るのである。「下」及び「下に流れる」は水に内在した属性であり、実際、水が流れることによってはじめて、どこがもっとも低い(「下」)かをわれわれは知るのだ。霧であるか雲であるかの判断も同様である。「霧」や「雲」という存在が先にあって(あるいは「川」や「海」が先にあって)それらに共通する属性として水が含まれるのではない、「霧」や「雲」、「川」や「海」こそが、水に内在している、すなわち「霧」「雲」「川」「海」は水に含まれた属性にすぎない。であるから、それらを属性つまり部分として含む、水のほうが集合として無限定で大きい(よって水自体は対象として認識できない)。だからいたるところ、あらゆるものに水は現れる。つまり「霧」「雲」「川」「海」のみならず、わずか一滴の水の中にも「国土」や「仏土」までが内在(蔵)し、それを現前させる。その発現が水の働きである。が繰り返せば、水それ自体を見ることはできない。われわれは出来事としての生起する水の振る舞いのみを捉え、そこに「霧」や「雲」、「川」や「海」を見るのである。さらに「正法眼蔵山水経」は、われわれがそれを見るという出来事自体が、水に内在された属性として生起しているという。
水は強弱にあらず、湿乾にあらず、動静にあらず、冷煖にあらず、有無にあらず、迷悟にあらざるなり。こりては金剛よりもかたし、たれかこれをやぶらん。融じては乳水よりもやはらかなり、たれかこれをやぶらん。しかあればすなはち、現成所有の功徳をあやしむことあたはず。しばらく十方の水を十方にして著眼看すべき時節を参学すべし。人天の水をみるときのみの参学にあらず、水の水をみる参学あり、水の水を修証するゆゑに。水の水を道著する参究あり、自己の自己に相逢する通路を現成せしむべし。他己の他己を参徹する活路を進退すべし、跳出すべし。
(『正法眼蔵 山水経』)
(座禅という修行=参学を通して)認識すべきは、私が何か(水)を見ているのではなく、そもそも水が水を見るという出来事(水自身に含まれ、生起するズレ、差異、遅れ)に、すでに無数の出来事(私が何かを見ているという出来事を含む)の生起が内在していて、すでに生起しているということである。水がないといっているわけではない。水はそれ自体では対象ではない。それはそもそも一つではなく、不連続な無数のズレ、揺らぎを内在し、むしろ水から、数が生成するのだ。それが媒体─メディウムとしての水の働きである。その差異、揺らぎを受け止め、そこに、あらゆる概念から溢れだす通路を発見せよ。(自己が他己になる、いわば他の概念として生起する)。つまり水が水(水として自身を収めていた既存枠)から溢れるところ─ここで跳び出せ。
最後に中谷芙二子がビデオに見出したメディウムとしての特性を列挙してみよう(すでにあきらかなように、この特性は《霧》そして芙二子すべての活動にも通底している)。
A. メディウムそれ自体は対象として現れない。──たとえばメディウムとしてのビデオは視覚的対象としては現れない。メディウムは出来事として現れる。出来事はメディウムに内在されている差異としての物質的状態である。
メディウムに内在化された出来事とは記録ではなく物質の状況である。したがってそれが再生(感受)されるとは、それに反応する出来事もかならず再帰することを意味する。物質的状況である以上、それを感受する主体=観察者も人間である必要はない、(それほど高度でもない)A.I.でも充分可能である[*10]。したがってメディウムの条件から考えれば、必ずしも作品としてそれを見る必要はない。言い方をかえれば、たとえ人がいなくてもメディウムはそれを感受するところの主体までもその内在化された構造によって再生、生起させるだろうということだ。
こうしたメディウムのもつ可能性をなお作品の構造に反省的、批判的に組み込もうとすることは、外的=展示上映形式に位置づけられた鑑賞者を前提とせずに、存在しうる作品を考えることに等しい。作品を受容する主体もそれを位置づける空間も時間もメディウムは自らのうちに含まれる差異=属性として、あらかじめ内在化していて、必ず、それらは生起するはずだからである。物質的状態としてこのメディウムがそこに実現されれば、その場所が元の場所と時間的にも空間的にもたとえ著しく距てられていたとしても、出来事(主体もそれが起こす反応もその反応に内包される空間も時間も)はきっと、いつか、そこに起こるだろう。
またメディウムが具体的な物質的状態である以上、それを感受する機能も特定の感覚、たとえば視覚などに限定されることもない。そもそも《霧》は視覚的ではなかった(《霧》の総体を見ようとする視覚的欲望をそれはむしろ妨害、遮断する)。一方で局所的な知覚に留まるとみなされてきた皮膚感覚(温度感覚、湿度感覚)、嗅覚、触覚はむしろ視覚以上に、そこで運動する《霧》の総体をより具体的、直接的に感受する。この《霧》と同じことが、ビデオというメディウムにもいえよう。ビデオは視覚メディアではない、それは視覚に有利な距たりを抹消して、より具体的、直接的に身体に、そのすべての感覚に働きかける。[*11]
B. メディウムはそれ自身を表現/代表する形態を一義的に持たず、ゆえに一義的に確定される固有な表現形式も持たない。
C. メディウムは(時間、空間的)限界を持たない。与えられた限界を溢れだすことで自覚されなかった概念をそのつど要請し生起させる。
メディウムは表現ジャンルという流通、展示=上映形式によって規定されるのはなく、それを溢出、越境する力である。が、その溢出、越境がその反動として、それを概念として固定しようとする形式を要請─生起させるということだ。
D. メディウムは単一な事物ではない。それ自身に対する無数の差異の集積あるいは相互参照、干渉の集合──無数の差異のエマルジョンである。本来的にはそれらの差異は分離し不連続である。が、その相互干渉が生起させる揺らぎ、振動、運動が連続体としての性格を効果として現出させる。メディウムの浸透性、溢出性、越境性はここに生じる。
たとえば中谷芙二子の《霧》に組み込まれた自己再帰的構造=差異を内在的に生起させる構造は、その《霧》の仕事が設置されたサンフランシスコやロンドン、オスロなど、その多くの場所が自然状態で霧が常態的に発生している場所であったことに端的に示されている。すなわち、そこでは自然発生した霧と芙二子による《霧》─人工霧の区分がほとんど不可能である。ではなぜ、すでに霧が自然にある場所に人工霧を発生させる必要があるのか? それは労苦と予算のムダではないのか。が、芙二子の意図は文字通りに〈霧が霧を見ること〉〈霧に霧を出会わせること〉つまり自己再帰的なズレを内在化させることにあった[*12]。──水の水をみる参学あり、水の水を修証するゆゑに。水の水を道著する参究あり、自己の自己に相逢する通路を現成せしむべし(『正法眼蔵 山水経』)
いわば《霧》は霧が発見し、そのときに生起する。そこに隔たり、遅れ、時間と空間が溢れ出し、われわれはそれに包まれ、呆然とする自分を発見(他己=他者にとっての自分、他者としての自分=が生起)し、そして遂には、そこに《霧》があったことを発見する。すなわち観察する〈主体〉もその対象たる《霧》もそれらが存在する〈空間〉も〈時間〉も、そこに生起する本来テンタティブな概念にすぎなかった。
それゆえに、中谷芙二子の仕事は概念芸術がいかなるものであるべきか、その可能性こそをもっとも秀れて体現しているものだともいえるだろう。概念はいかに生起するのか。それは一つの《霧》のようであってそうではない、そこにあるのは無数の運動であり──十方の霧を十方にして著眼看す──数え尽くすことができないから、〈人〉はそれを数え続ける(ことができる)。汲み尽くされることなく溢れ出るもの。それが自由意志の起源、世界が存在するという意味であった。[*13]